【ブラタモリ岐阜城 全ロケ地】国宝天守コンプリート 信長・秀吉・家康が重視した理由とは?#新36

とらべるじゃーな!
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NHK番組のブラタモリ犬山城編で、タモリさんが愛知県・犬山城の地形や歴史を紹介しました。このページでは内容の要約やロケ地をお知らせします。
このページは校正中です。内容は今後修正いたします。

😎桶狭間の戦い
(#32,#33)
😎名古屋
(#75,#76,#90)名古屋城と熱田神宮
😎は現地取材

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国宝5城とは?

犬山城は、国宝5城郭の1つです。年代順にならべると、下のようになります。

・犬山城(愛知県)戦国時代/築城1537年頃 黒×白 複合式天守
・松本城(長野県)安土桃山時代/天守竣工1594年頃 純黒(下見板) 連結結合式天守
・姫路城(兵庫県)江戸時代初期/天守竣工1609年 純白(漆喰) 連立式天守・世界遺産
・松江城(島根県)江戸時代初期/天守竣工1611年 純黒(下見板) 複合式天守
・彦根城(滋賀県)江戸時代初期/城郭完成1622年 黒×白 複合式天守

松本城は「黒い城」の代表格。家康の重臣から秀吉の臣下となった石川数正親子が、既存の深志城を改築。姫路城は、徳川家康が築いた慶長度江戸城の天守と似ているともされる徳川の「白い城」の代表格。

松江城は、関ヶ原の戦いでは東軍だった堀尾吉晴が築城しましたが、もとは豊臣の古参でしたので豊臣の城づくりが残存。彦根城は、家康が石田三成の佐和山城などを取り壊し井伊家に作らせた徳川時代の城です。

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大手道|ブラタモリ犬山城

犬山城は木曽川沿いの切り立った崖の上に立っています。

ブラタモリは、犬山城麓の正面からスタート。タモリさんは犬山は初めてでしたが、猿好きのため犬山モンキーパークは知っていました。三光稲荷神社の前で国宝の4城を振り返ります。

針綱神社(はりつなじんじゃ)は二の丸の跡(ブラタモリでは未紹介)。

ブラタモリは、二の丸を過ぎ天守へ到着します。

犬山城天守

現存日本最古の天守です。

天守を見上げたタモリさんは、その「お寺風」(タモリさん談)ともいえる天守を観察します。入母屋造りの建物の上に、小さな物見櫓をポンと載せたような構造を望楼(ぼうろう)型と呼びます。後の層塔型(最初からピラミッド状に作る形)とは違う、初期の天守の形です。

ブラタモリは犬山城のテーマは、天下人が愛した国宝犬山城その秘密とは?です。

天守のなかには急な階段があり居住には向かず、普段は倉庫、武器庫として使われていました。

1537年に織田信康が築城したとされます。1565年頃から織田信長の支配下に。1590年には全国統一を果たした豊臣秀吉の支配下に、1600年の関ヶ原の戦い以降は徳川家康の支配下となりました。

天守からの展望

あゆ釜めしの看板の先の高層ビルが立ち並ぶ場所が名古屋

最上階に上がったタモリさんはまず名古屋方面を眺望。

犬山城は回縁(まわりえん)と高欄も特徴。後の天守では装飾になりがちなベランダ部分が、犬山城では実際に外へ出られる実用的な造りになっています。

濃尾平野は木曽三川が開いた場所。天守最上階から北側を見下ろすと、木曽川が山間部を抜けて広大な平野へと流れ出すポイントにいることが分かります。ここは「濃尾扇状地」の扇頭(要)。もともと高い場所に天守を建て、川の流れや扇状地の方向(尾張の国)を監視できる地政学的に重要な場所だったのです。

写真の画角から外れる左側に稲葉山城

木曽川の向こうは美濃の国。敵方だった稲葉山城(信長制圧後は岐阜城)を見ることができます。対岸(各務原市側)にはかつて鵜沼城がありました。

北側にあたる美濃を意識した信長に対し、秀吉は東側の木曽川上流の木材に目を付けます。秀吉は、大坂城、伏見城など数々の城を建てましたがそれを支えたのが木曽川の上流でした。

犬山城 (信長)南=自領の尾張を見通す/北=敵方だった美濃を見る →(秀吉)東=木曽路を見る 

城下町

ブラタモリは城の東側の麓に降ります。急な崖の地形がよく分かります。

引用 天下人が愛した国宝犬山城の秘密を探る PART2(犬山市観光協会)

城が建つ山のなかで「切岸」を見つけます(一般立ち入り禁止)。石垣が作られる前から存在した、敵の侵入を防ぐ人工的な崖状の防御施設です。

削った石はチャートです。非常に硬い岩石ですが、剝がしやすい性質があり切岸を作ることができました。

チャート 放散虫というプランクトンが海の底に積もってできた堆積岩
チャート 放散虫というプランクトンが海の底に積もってできた堆積岩

犬山城は(岐阜城と同じく)非常に硬いチャートの岩盤。木曽川の浸食に耐えて残ったこの「まるごとチャート」の岩の塊があったからこそ、この位置に城が築かれたのです。

引用 天下人が愛した国宝犬山城の秘密を探る PART2(犬山市観光協会)

ブラタモリは木曽川沿いのチャートが非常に多く見られる場所を訪ねます。帯状に広がるチャートは川の流れで削られますが、川は自身が堆積させた土砂で流れを変えます。そうして、残った部分が「チャートの独立峰」になり、犬山城が建ったのです。

本町通り

ブラタモリは城下町の西の隅を訪ね、東に歩き「大本町(だいほんちょう)通り」を横切ります。現在は住宅地ですが秀吉の時代は城下町の中心(町人地)でした。しかし家康は1本東の「本町通り」(写真)に中心を移しました。これはなぜだったのでしょうか?

北に行くと犬山城がありますが、南は名古屋城。1本の道で結ぶために、本町通りに中心を移したのです。家康は一国一城令(1615年)を発しましたが、尾張には2つの城を残したのです。幼い徳川義直(家康実子)がいた名古屋城を、岐阜城の成瀬氏が護る形となりました。

タモリさんは、最近まで城を私有していた成瀬さんに対面。明治24年の濃尾地震で犬山城は廃城寸前となりましたが、成瀬家は私財を投入して修繕。「1にお城、2にお城、3・4がなくて5に家族」が成瀬家の家訓のようなものだといいます。

犬山城は木曽川がある北側は鉄壁の守りですが、平地が続く南側は守りが弱く、城下町は城を守る役目もありました。

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