【ブラタモリ平泉編 全ロケ地】世界遺産をめぐり、奥州藤原氏の栄華を知る#56

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NHK番組のブラタモリ平泉編で、タモリさんが平泉の歴史・地形を踏まえた観光ルートを紹介しました。このページでは、ブラタモリ平泉編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

岩手でブラタモリ内容
三陸リアス、三陸の鉄道(#156,157)三陸鉄道に乗って、鉄道が求められた背景とリアス式海岸の役割を探ります。後編では、三陸鉄道以外の3つの鉄道が登場!
😎現地取材 花巻編(#150)宮沢賢治は、農学校の教師を務めながら、創作を続けました。ブラタモリのテーマは、花巻はなぜ宮沢賢治を生んだです。
😎現地取材 平泉編( #56)中尊寺金色堂とシルクロード。平泉の水の出どころ。猊鼻渓で知る、平泉と金(きん)の関係など、いくつもの謎を解決。
引用 NHKブラタモリ公式

黄金の郷 平泉と世界遺産

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平泉は、古くからの地名です。仙台と盛岡のほぼ中間地点にある、平泉町の中心部を指し、JR東北線の平泉駅があります。平泉の世界遺産は、5つの構成要素から成ります。

平泉駅は、東北新幹線一ノ関駅からわずか10分です。

平泉の世界遺産

  • 中尊寺 …金色堂を含む
  • 毛越寺(もうつうじ)
  • 旧観自在王院庭園(観自在王院跡)
  • 無量光院跡
  • 金鶏山(きんけいざん)

中尊寺|ブラタモリ平泉

ブラタモリは、中尊寺からスタートしました。

  • 中尊寺 JR平泉駅から徒歩25分(バス便もあり。冬季を除き、平泉駅にレンタサイクルあり)

テーマは、黄金の都・平泉は、なぜ栄えたのか。ブラタモリは、中尊寺境内を、以下の順に回りましたが、このほかにも数多くの御堂があり、1つ1つ回ることもできます。

  1. 中尊寺本堂
  2. 金色堂
  3. かんざん亭(そば屋)

境内の道

中尊寺本堂は、釈迦如来(仏教の開祖である釈迦が悟りを得た姿)が本尊です。

平安末期には浄土(争いのない究極の天国のこと)信仰が高まり、各地に阿弥陀堂が建てられます。初代奥州藤原氏は、その1つである現在の中尊寺金色堂に、遺体を納めるよう言い遺しました。

白い建物(覆堂)の内部に、5.5四方の金色堂が今も遺されています。瓦は木造ですが、壁や床、軒先に至るまで全て金が施されています。中心には、阿弥陀如来、観音菩薩などが配されます。
※2024年4月14日まで、主な仏像は東京国立博物館に移動展示中。

写真は以前の覆堂です。詳しい史料は残されていませんが、恐らく室町中期ごろから、金堂は覆堂に収められ風雪をしのいでいます。

金色堂は、贅を尽くされた金だけでなく、象牙やバラの香りがする紫檀(したん、ローズウッド)も大きな特徴です。

このことから、平泉と海外の結びつきが深いことが分かります。かつて、主に地中海世界と中国を結び、日本では奈良の正倉院が東の終点とされるのがシルクロード(絹の道)です。平泉は、シルクロードの隠れた終点と呼ばれていると、タモリさんは解説しました。

中尊寺の古代種のハス

平泉に繁栄をもたらした奥州藤原氏は、貴族の藤原氏と同族ですが、平安後期の武将です。

藤原清衡きよひらから4代、100年余り、現在の東北地方を手中に収め隆盛を極めました。同時に、親類や譜代の家臣を多く失い、浄土思想を深く信仰したことが、平泉産の金と結びつき、多数の世界遺産を含む優れた文化遺産につながります。

※なお4代に代替わりした時点で、鎌倉幕府に滅ぼされたため、3代と数えることもあります。

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中尊寺の独特な立地|ブラタモリ平泉

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ブラタモリは、中尊寺金色堂見学のあと、金堂のさらに奥にある、そば屋のかんざん亭に移動します。

タモリさんは、すみの柱の辺り(エアコンのそば)でロケを開始。

中尊寺の立地を確かめると、山地のヘリにあたります。

中尊寺は、中央政府(大和朝廷)と地域の豪族が支配権を争った「国境」付近に位置します。藤原清衡は支配地の中央に拠点を設けず、あえて中央政府とにらみ合う、国境付近に居を構えたのです。

タモリさんは、景色の取材だけでしたが、自然薯ざるそばがおすすめです。

冬季のため場所がはっきり特定できなかったため、水が湧く地点を撮影。

平泉は、世界遺産の1つ毛越寺に見られるように、豊かな水の存在も繁栄の理由です。中尊寺本堂から徒歩約7分、未舗装の道路を入った場所を訪ねます(おおむね地図に●印で示した場所)。

そこには、不思議な、ねじ曲がった地層があります。

この付近はもともとは泥岩(難透水層)と砂岩(透水層)が、平らに重なり合っていました。

しかし、ある時期に断層が生じます。地表近くの地層がねじ曲がり縦になり、風雨で上部が削り取られ、断面が地表に表出したのです。タモリさんが、砂岩(透水層)をロック・ハンマーで叩くと、簡単に崩れました。

平泉では、雨の大部分が透水層に浸透し、地層の切れ目で、大量の湧き水をもたらします。その湧き水が、毛越寺の池など平泉の豊かな水を育んでいたのです。

ブラタモリ平泉のマップ

ブラタモリ平泉編が訪ねた場所のうち、猊鼻渓以外は、平泉駅(東北新幹線一ノ関駅から10分)から徒歩圏です。ただし、中尊寺は少し離れているため、行きかか帰りで路線バスを使うのがおすすめです。

行きに路線バスを使う場合のおすすめ順路

  1.  中尊寺(本堂、金色堂、かんざん亭)
  2. ● 水が湧く地層が分かる場所 …参道を外れ車道を戻ります。場所が分かりづらいです。
  3.  無量光院跡 …中尊寺からの帰路に寄ると便利です。
  4.  柳之御所遺跡 …ブラタモリが訪ねた北上川べりもすぐそば。道の駅があります。
  5. ● 毛越寺 …無量光院跡、柳之御所遺跡とは線路を挟んで逆側のため、1度平泉駅付近を通ることとなります。
  6.  猊鼻渓 …離れた場所にあり、平泉駅から大船渡線を利用します。

帰りにバスを使う場合 平泉駅…(徒歩)…柳之御所遺跡(平泉館跡)…無量光院跡…中尊寺…水が湧く地層が分かる場所…バス停🚌(バス)平泉駅

北上川の東西の地形が平泉繁栄のカギ?|ブラタモリ平泉

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ブラタモリは、柳之御所遺跡を訪ねます。藤原清衡の居所だった場所で、のちに庁舎として整備されました。奥州藤原氏が政治を行った、県庁や内閣のような場所です。平泉館ひらいずみのたちという呼び方もあります。

堀が囲んでいます。やや紛らわしいですが、写真のガイダンスセンターは庁舎のあった場所ではなく、堀の外側となります。

  • 柳之御所遺跡 …平泉駅から徒歩約10分。中尊寺→無量光院跡→柳之御所遺跡(平泉館)と巡ると回りやすいです。

北上川と堀に守られた立地です。

発掘調査により、主な建物のほか渡り廊下(写真)なども、区画が再現されています。

庁舎(平泉館)の庭の池です。

屋外に平安期のトイレ(廃棄穴)の遺構が残っています。

タモリさんによれば、当時のトイレには紙がなく、ヘラを使っていたとのこと。身体の構造上、汚れが残りにくいようになっていることを、身振り手振りで力説しました。

続いて、ブラタモリは北上川の岸に出ます。奥州藤原氏は、北上川の水運を用い、交易を進めていました。北は蝦夷地、南は海路を挟み、はるか宋の国との公益の接点となった場所です。

そしてこの北上川は、地形的にも平泉の繁栄を説明する、重要な境界線となっています。どういうことでしょうか?

北上山地へ|ブラタモリ平泉

摺沢駅を出ると急カーブする大船渡線
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ブラタモリは、三陸海岸へ抜けるJR大船渡線沿いで、北上山地の地層や猊鼻渓げいびけい周辺を訪ねます。

大船渡線は、政治路線としても有名です。本来は、猊鼻渓付近を通らないルートが、三陸への最短距離ですが、戦前、政治的なの影響で遠回りしています。

タモリさんは、北上山地の地層を見学します(一般非公開の場所。柴宿駅の北北西1.5km)。化石の発掘に挑戦しました。シャミセンガイの祖先などの腕足類や、アンモナイトも出土しています。

これらは、3億年以上前、デボン紀のものです。北上川の東側は、実に1〜5億年前の古い地質なのです。これほど古い地質が広く表出しているのは、日本では、平泉の東側、北上山地付近に限られます。ここから、平泉の繁栄の象徴と言える、金が出土します。

猊鼻渓の舟下り|ブラタモリ平泉

猊鼻渓は、平泉への観光客の多くが訪ねる名所です。

北上川の支流である砂鉄川には、北上山地から砂金が流れています。同時に、砂鉄も大量に取ることができ、南部鉄器の成り立ちにも関連があります。

ブラタモリは、猊鼻渓の舟下りをしながら、周囲の地形を観察します。

すると花崗岩が大変目立つことがわかります。猊鼻渓周辺は、日本有数の花崗岩地帯なのです。花崗岩は、金を含み、約5000mの深さからゆっくりと隆起し地上に露出します。その後風化すると砂金となり、特別な掘削技術がなくても金を掘ることができます。

花崗岩 水晶の成分が多いマグマが地下深くで冷え固まった深成岩。大陸に多い。
花崗岩 水晶の成分が多いマグマが地下深くで冷え固まった深成岩。大陸に多い。

※砂金取りは、一般には許可されていません。

北上山地が、1〜5億年前の古い地層であるのに対し、江戸時代初期に採掘を開始できた佐渡島の地層は約3000万年前のものであると説明されました。平安後期の技術で、平泉の金が採掘できたのは、地層に理由があったのです。

【ブラタモリ佐渡 全ロケ地】タモリさんが佐渡金山の歴史を深掘り#46

毛越寺へ|ブラタモリ平泉

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ブラタモリは、猊鼻渓を訪ねた後、平泉駅付近に戻り、毛越寺もうつうじを訪ねます。毛越寺は、大きな池が印象深い、世界遺産です。

毛越寺は、大火により焼失し荒廃していたところ、奥州藤原氏2〜3代にかけて再興されました。当時は池に橋がかかっており、吾朝無双(我が国に並ぶものがない)と評判になった浄土庭園でした。

池の水は、全て湧き水です。中尊寺近くで見学した、端が露出した透水層が、水道管のような働きをして、水を運んできます。

なお上の写真の半島のようなところは、砂州を模しています。

世界遺産・無量光院跡|ブラタモリ平泉

ブラタモリは、無量光院跡を訪ねます(地図印)。

土塁に囲まれた寺院は、珍しいです。

無量光院跡は、奥州藤原氏3代秀衡が、平等院を模して建てた寺院でしたが、大火で焼失。

お堂の背後の金鶏山に、夕日が沈む姿は、極楽浄土の世界を表現しようとしたものでした。奥州藤原氏による、争いのない平和な世界への願いが感じられます。

黄金の都・平泉は、なぜ栄えたのか?

  • 北上川の東に、1〜5億年前の古い地層が存在し、砂金の形で金を得ることができた。
  • 北上川が、南は宋、北は蝦夷地との水運の役割を果たした。
  • 断層による砂質の透水層の露出により、天然の水道管を得ており、水の心配がなかった。
岩手でブラタモリ内容
三陸リアス、三陸の鉄道(#156,157)三陸鉄道に乗って、鉄道が求められた背景とリアス式海岸の役割を探ります。後編では、三陸鉄道以外の3つの鉄道が登場!
😎現地取材 花巻編(#150)宮沢賢治は、農学校の教師を務めながら、創作を続けました。ブラタモリのテーマは、花巻はなぜ宮沢賢治を生んだです。
😎現地取材 平泉編( #56)中尊寺金色堂とシルクロード。平泉の水の出どころ。猊鼻渓で知る、平泉と金(きん)の関係など、いくつもの謎を解決。

😎見逃した方はこちらから

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コメントをどうぞ(情報ご提供、旅行相談など)

  1. とらべるじゃーな! より:

    ご指摘ありがとうございます。画像を削除いたしました。
    取り違いの要因は、写真提供元の誤記にありますが、最終的には当サイトの責となります。お詫びいたします。
    なお、あわせて写真提供元にも連絡し、同種のミスが出ないように手配いたしました。

  2. 匿名 より:

    「タモリさん 猊鼻渓の舟下りで砂金取りに挑戦」
    タイトル下の画像は、「猊鼻渓」ではなく「厳美渓」です。

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