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【平泉】ブラタモリ紹介の歴史・地形観光スポットまとめ…2016.12.11

ブラタモリ平泉編が紹介した、平泉の歴史や地形がわかるスポットをまとめました。旅行や教養のために是非ご覧ください。

記事途中に年末プレゼントのお知らせが入ります。

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黄金の郷・平泉の世界遺産とは

平泉は、古い地名です。仙台と盛岡のほぼ中間地点にある平泉町の中心部です。JR東北線の平泉駅があります。平泉駅から中尊寺までは、徒歩約25分。中尊寺の拝観は、じっくり回ると2時間かかります。

平泉 金色堂

出典:http://dbnst.nii.ac.jp/junior/detail/2030

「平泉の世界遺産」の構成要素は、5ヶ所です。

平泉の世界遺産

  • 中尊寺 … 金色堂を含みます
  • 毛越寺
  • 旧観自在王院庭園(観自在王院跡)
  • 無量光院跡
  • 金鶏山

ブラタモリは、中尊寺からスタートしました。テーマは、黄金の都・平泉は、なぜ栄えたのか。

中尊寺境内は、以下の順に回っています。

  1. 中尊寺本堂
  2. 金色堂
  3. 白山神社そばの「かんざん亭」

中尊寺金色堂は、贅を尽くされた「金」だけでなく、象牙やバラの香りがする紫檀(=ローズウッド)も大きな特徴です。象牙や紫檀(したん)の存在から、平泉と海外の結びつきが深いことが分かります。

かつて、主に地中海世界と中国を結び、日本では奈良の正倉院が東の終点とされるのがシルクロード(絹の道)です。平泉は、シルクロードの隠れた終点と呼ばれていると、タモリさんは指摘しました。

平泉 中尊寺

中尊寺本堂

平泉を日本史的に見ると、奥州藤原氏の拠点であり、その繁栄の象徴となります。「藤原氏」と言えば、平安期の貴族(=高級国家公務員)のイメージが強いですが、奥州藤原氏の活躍は、武士の起こりがあった平安時代後期にあたるため、武将の分類となります。

奥州藤原氏は、藤原清衡(きよひら)から4(3)代に渡り、100年余り隆盛を極めました。文化的に言えば、肉親を戦いでなくすことが相次いだ藤原清衡の浄土思想が代々受け継がれ、優れた文化遺産を生むことにつながります。4代に代替わりした時点で、鎌倉幕府に滅ぼされたため、3代と数えることも多くあります。

奥州藤原氏は、福島以北、現在の東北地方を手中に収め大きな権力を握りました。これが、平泉産の「金」と結びつき、世界遺産と認められる文化を形成してゆきます。

平泉(中尊寺)の独特な立地

平泉 中尊寺 かんざん亭

出典:子連れで世界遺産【平泉-中尊寺・金色堂】

ブラタモリは、中尊寺金色堂見学のあと、白山神社そばの「かんざん亭」周辺に移動し、中尊寺の立地を確かめます。中尊寺は、崖の上に立地し、1キロの長さのへりを形成。中央政府(大和朝廷)と地域の豪族が支配権を争った「国境」付近に位置します。

藤原清衡は陣地の中央に拠点を設けることをせず、あえて中央政府とにらみ合う、国境付近に居を構えたのです。

中尊寺近くの貴重な地形

中尊寺本堂から徒歩約7分、未舗装の道路を入った場所に、平泉の「水」の謎を解く鍵があります。

下の地図:● 水が湧く地層が分かる場所(中尊寺近く)

平泉は、世界遺産の構成要素でもある毛越寺に見られるように、豊かな水の存在も繁栄の理由です。地図に●で示した場所に、ブラタモリ一行は訪れます。そこにはねじ曲がった地層があります。

ブラタモリ 平泉

ねじ曲がった地層ができた原因は、断層です。地表近くの、柔らかい地層は、グニャッとねじ曲がります。その後、上部が削り取られ、地層の断面が地表に表出しました。難透水層 (=図のオレンジ色たてじま)と透水層が重なっています。難透水層は主に泥岩、透水層は主に砂からできています。タモリさんが、透水層をロック・ハンマーで叩き確認すると、簡単に崩れました。

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通常の地層では、難透水層にはじかれ、降った雨のごく一部しか透水層に到達しません。一方、平泉の地形では、地層の断面に降った雨は、相当量が透水層に浸透し、地層の切れ目で、大量の湧き水をもたらします。その湧き水が、毛越寺の池に流れ込んでいるのです。

ブラタモリ  北上川に奥州藤原氏繁栄の理由を探る

ブラタモリ平泉の主要ルートをたどるには、以下の場所がおすすめです。ブラタモリでは、1〜5の順に回りましたが、回りやすい順番で良いでしょう。

  1.  中尊寺(本堂、金色堂、かんざん亭)
  2.  北上川(昔のトイレの跡、北上川)
  3.  猊鼻渓(げいびけい、タモリさんが砂金を取った舟下り)
  4. ● 毛越寺(世界遺産)
  5.  無量光院跡

余裕があれば以下を回ります。

● 水が湧く地層が分かる場所(中尊寺近く)

プレゼントのお知らせ

タモリさんの出身地の方言、博多弁の「おっとっととっとってっていっとったとになんでとっとってくれんかったとっていっとーと」を、「親に紹介できる音楽」をテーマにデビューをめざす、24歳の歌手okayuさんが歌にしました。今回は本人から、この曲を含むCD(6曲収録)を5名様にプレゼントいたします。後続の簡単なアンケートにお答えくだされば、すぐに応募が終わります。12月24日締め切りです。

ビデオ1

ビデオ2

ありがとうございます。歌手Okayuへのお問い合わせがあれば、当サイトのお問い合わせをご利用ください。転送いたします。

※メールアドレスは、抽選後すべて破棄いたします。メールマガジンの購読等、いかなる義務もございません。「捨てアドレス」の利用でも差し支えありません。

北上川の東西の地形が平泉繁栄のカギだった?

写真:タモリさんが北上川を見学した地点から300mほど南の橋上

ブラタモリは、平泉駅北側の、柳之御所遺跡を訪ねます。藤原清衡の居所であり、のちに庁舎として整備されました。北上川を間近に見る立地です。

屋外に平安期のトイレの遺構が残っています。タモリさんによれば、当時のトイレには紙がなくヘラを使っていたとのこと。身体の構造上、トイレ使用時に汚れが残りにくいようになっており、ヘラで十分であったことを、タモリさんは身振り手振りで力説されました。

続いて、ブラタモリは北上川の岸に出ます。奥州藤原氏は、北上川の水運を用い、交易を進めていました。北は蝦夷地、南は海路を挟みはるか宋の国との公益の接点となった場所です。

そしてこの北上川は、地形的にも平泉の繁栄を説明する、重要な境界線となっています。どういうことでしょうか?

ブラタモリ  北上山地へ(大船渡線・柴宿駅)

猊鼻渓

ブラタモリは、柳之御所を訪ねたあと、東の三陸へ抜けるJR大船渡線沿いにある猊鼻渓(げいびけい)周辺を訪ねます。まず柴宿駅北側で北上山地を見学し、化石などを探した後、猊鼻渓駅付近の船乗り場に移動しました。

大船渡線は、政治路線としても有名です。本来は、猊鼻渓付近を通らないルートが、三陸への最短距離ですが、戦前に憲政会の影響で遠回りしています。このほか、全国的には、中央線(中央東線)の辰野まわりも政治路線として有名(諸説あり)。また、岐阜羽島駅は、政治的な力学が働いた駅として有名です。

タモリさんは、柴宿駅北側付近の北上山地で、化石の発掘に挑戦しました。シャミセンガイの祖先などの腕足類や、アンモナイトも出土している場所です(一般非公開)。これらは、3億年以上前、デボン紀のものです。

北上川の東側は、実に1〜5億年前の古い地質なのです。この時代の地質が広く表出しているのは、日本では、平泉の東側、北上山地付近に限られます。この地層から、平泉の繁栄の象徴と言える、金が出土します。

タモリさん  猊鼻渓の舟下りで砂金取りに挑戦

猊鼻渓

※砂金取りは、一般には許可されていません。

猊鼻渓は、平泉への観光客の多くが訪ねる名所です。北上川の支流である砂鉄川には、北上山地から砂金が流れています。同時に、砂鉄も大量に取ることができ、南部鉄器の成り立ちにも関連があります。

ブラタモリでは、猊鼻渓の舟下りをしながら周囲の地形を観察します。すると花崗岩が大変目立つことがわかります。猊鼻渓周辺は、日本有数の花崗岩地帯なのです。

花崗岩は、金を含み、約5000mの深さからゆっくりと隆起し地上に露出します。その後風化すると砂金となり、特別な掘削技術がなくても金を掘ることができます。

【佐渡】ブラタモリおすすめの観光スポットまとめ……2016.9.03

ブラタモリ佐渡編では、佐渡島の地層が約3000万年前のものであると、説明されています。佐渡島では江戸初期の技術を使い金の掘削が進み、昭和初期に技術革新が起こり、金の掘削量が大幅に増えています。

平泉では、地層が古いため、大量の金が砂金としてもたらされるため、平安後期の技術で対応できた面があります。

毛越寺へ

毛越寺

ブラタモリは、猊鼻渓を訪ねた後、平泉駅付近に戻り、毛越寺を訪ねます。毛越寺は、大きな池が印象深い世界遺産です。毛越寺は、大火により焼失し荒廃していたところ、奥州藤原氏2〜3代にかけて再興されました。当時は池に橋がかかっており、吾朝無双と評判になった浄土庭園でした。

池の水は、全て湧き水です。中尊寺近くで見学した、両端が露出した透水層が水道管のような働きをし、水を運んできます。

ブラタリの締めくくりは、世界遺産・無量光院跡

ブラタモリは、奥州藤原氏3代秀衡が、平等院を模して建てた寺院です。大火で焼失。お堂の背後の金鶏山に夕日が沈む姿は、極楽浄土の世界を表現しようとしたものでした。奥州藤原氏、代々による、争いのない平和な世界への祈念が感じられます。

(まとめ)ブラタモリ平泉編のテーマ「黄金の都・平泉は、なぜ栄えたのか」

黄金の都・平泉は、なぜ栄えたのでしょうか?

  1. 北上川の東に、1〜5億年前の古い地層が存在し、砂金の形で金を得ることができた。
  2. 北上川が、南は宋、北は蝦夷地との水運の役割を果たした。
  3. 断層による砂質の透水層の露出により、天然の水道管を得ており、水の心配がなかった。

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