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【ブラタモリ小田原編】小田原の歴史・地形・観光ルートまとめ #28

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NHK番組のブラタモリ小田原編で、タモリさん推奨の小田原の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ小田原編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。


小田原城とは?

かつて関東最大の町だった小田原。その中心が、小田原城。戦国時代に北条氏が関東の拠点とし整備しました。現在は平成の大改修を経て、内部までピカピカの状態です。

上杉謙信、武田信玄ら、名だたる武将の攻めを避け難攻不落と恐れられた小田原城は、1590年ついに、徳川家康も従えていた豊臣秀吉に敗れます。その後1度破却されましたが再建され、西方に対する関東の防衛に当たりました。明治期に廃城となり関東大震災で全壊。昭和35年に天守閣が再現されました。

ブラタモリ小田原編のテーマは、江戸の原点は小田原にあり?です。


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小田原用水:ブラタモリ小田原

ブラタモリは、箱根登山線で1駅、箱根板橋駅付近を訪ねます。箱根登山線と新幹線が交差する場所です。

ブラタモリは、箱根登山線の線路に沿って、箱根湯本駅方面に5分ほど歩きます。小田原用水取入口の看板に従い早川の川面に降りると、戦国時代に作られた、小田原用水の痕跡が見られます。これは、日本最古の水道とも言われています。

  • アクセス:国道1号線上板橋信号付近

用水跡をさかのぼると、早川から取水している場所があります。

石工技術が徳川家康から賞賛され、江戸城の石垣作りに参加した石屋善左衛門の住まいがこの周辺にありました。小田原用水とあわせ、小田原が、江戸の町づくりに影響を与えた痕跡となります。

ブラタモリは、箱根板橋駅に戻り、小田原方面へ歩き、新幹線のガードの手前を左に曲がります(上の地図には近道が表示)。

すると、かつての小田原用水の面影が残っている場所があります。

小田原用水は、上の地図左下の取水口に始まり、現在地と表示された場所(上の写真)を通り、小田原城の南を流れ、城下町を潤しました。

かまぼこと水:ブラタモリ小田原

ブラタモリは、小田原の海沿いにある、小田原かまぼこ通りを訪ねます。

山上かまぼこ店は、創業明治11年の老舗のかまぼこ店です。

山上かまぼこ店では、上の写真の中央にあるように、御影(みかげ)石の石臼を使い、人の手で感触を確かめながら、かまぼこ用のすり身を製造しています。また、上の写真のこだわりに記されているように、小田原の地下水を使用しています。かつての地下水は、海のミネラル分を含む塩辛いものであったと考えられ、そこに上水の必要が生じたのです。

小田原用水の例にならい、江戸でも地下水が飲用に適さないことが予期され、早くから上水(神田上水など)を引く必要性が気づかれていました。用水の確保という点でも、江戸の原点は小田原にありと言えるでしょう。

山上かまぼこ店の刺身かまぼこは、しっとり、もちもちした舌触りが秀逸!

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難攻不落の小田原城:ブラタモリ小田原

写真:小田原駅

現在小田原市の人口は、神奈川県内で10番目ですが、戦国時代に北条氏が入城した時期には240万石、信濃まで支配下に置く、関東最大の町でした。

その中心に位置する難攻不落の小田原城は、豊臣秀吉といえども、全国統一の最終段階まで攻め落とすことはできませんでした。この鉄壁の守りの秘密はどこにあったのでしょうか?

ブラタモリは、小田原駅の東(小田原城の北東)の住宅街を訪ねます。タモリさんは、暗渠(あんきょ)の上を歩きます。

すると1度、広い通りに出ます。家屋の左手に回ってみると……。

もう1本暗渠があります。先ほど歩いた暗渠と並行し、また暗渠があるのです。暗渠が2本並行しているのは、なぜなのでしょうか?

これは、小田原城の堀の名残です。2本の暗渠の位置が、堀の両端だったのです。いかに堀の幅が広いものだったかが、体感できます。

ブラタモリは、暗渠の場所から歩き、新玉小学校の東側を訪ねます。小学校の敷地内には、土塁の跡があります。

ブラタモリでは紹介されませんでしたが、土塁には、太平洋戦争のさいに、爆弾が落とされた場所があります。土塁は、昭和時代の歴史も物語っています。

小田原城の東側は、ずっと平野が広がります。ブラタモリが見学した堀の跡や土塁は、小田原城から少し離れた東側に位置します。なぜ城から離れた場所に、堀や土塁があったのでしょうか?

これは、総構(そうがまえ)と言われます。通常の城の守りの常識を超え、城下町を丸ごと包囲する大がかりなものでした。意味あいが異なりますが、ベルリンの壁をイメージすると良いでしょう。

小田原城の西側の守り:ブラタモリ小田原

堀や土塁で守った小田原城の東側に対し、箱根のある西側や北側はどのように守ったのでしょうか?

ブラタモリは、小田原城天守閣裏のこども遊園地を訪ねます。遊園地には、豆汽車が走っており、線路の円周内に向かう小さなトンネルがあります。トンネルの周辺の地層は、東京軽石層と呼ばれ、約6万年前の箱根火山の噴火によるものです。

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約6万年前の箱根火山の噴火は、規模が大きく、火砕流は三浦半島にまで到達しました。火砕流の堆積により、小田原城の西から北に入り組んだ尾根が形成されました。小田原城の西部から北部にかけては、この尾根や谷の地形を利用し、総構が作られていたのです。

ブラタモリは、小田原税務署付近(小田原駅より徒歩15分)を訪ねます。付近には、尾根を利用した総構の痕跡が残っています。Googleマップには、総構城下張出(堀)と表示されます。

総構イメージ 作画杉山実氏

総構イメージ 作画杉山実氏

尾根の斜面を利用し、土塁~堀~土塁の構造をとっていました。土塁に挟まれた堀の部分は、水を溜められる障子堀とされ、敵の足止めを意図していました。

徳川家康の視点:ブラタモリ小田原

以上のような堀、土塁、尾根を利用した小田原城の総構は、江戸城の総講のヒントになっている可能性があります。その間接的な証拠として、町の東に小田原合戦における、徳川家康の陣地があったことが挙げられます。

徳川家康の陣地だった場所は、今井権現神社となっています(小田原駅から徒歩20分強)。

総構(そうがまえ)は、江戸だけでなく京都、金沢など全国に見られます。いずれも小田原の総構えの後に作られたものです。

(まとめ)【ブラタモリ小田原編】小田原の歴史・地形・観光ルートまとめ #28

小田原城は、西から北にかけては箱根火山の働きによる自然を生かした防衛、東側は大がかりな工事による防衛、南側は海という、非常に堅固な守りを完成させ、難攻不落を誇りました。

落城後は、廃城となり荒れ果てた時期もありましたが、現在は平成の大改修を経て、非常に立派な姿です。


ブラタモリ小田原編の周り方

ブラタモリ小田原編は、見学先が点在しているため、絞って回る形になりそうです。おすすめは、小田原駅→暗渠→土塁→かまぼこ通り→小田原城→小田原駅の順です。このルートは天守閣へ登る時間も含めて、3時間程度となります。天守閣は階段のみのため、脚元に自信がない場合は、4時間程度見ます。

余裕があれば、今井権現神社(徳川家康陣地)か小田原税務署付近(尾根)も拾えます。それぞれ1時間程度のずつの加算です。

小田原用水を見たい場合は、小田原駅から1駅の箱根板橋駅に移動しますが、箱根へ行く場合は、途中下車で立ち寄ることもできます。箱根板橋駅周辺の所要時間は、1時間程度です。

宿泊すると予定が楽になります。安く良い宿は、小田原城に近いビジネス旅館です。

旅行まで2週間 見た目と写真写りを良くする裏ワザ!

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