【ブラタモリ鳴門】全ルートをまとめ|タモリさんが鳴門のうずしおや撫養街道を歩く#129

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NHK番組・ブラタモリ鳴門編で、タモリさんが鳴門から撫養街道を歩き地形・歴史が分かるスポットを紹介しました。このページでは、ブラタモリ鳴門編のルートや訪ねた場所をくわしくご紹介します。

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ブラタモリ鳴門

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ブラタモリ鳴門編は、大鳴門橋の下の船上からスタート。船からは、鳴門の渦潮が目の前に見えます。

鳴門の渦潮は、大きいもので直径20m。世界三大潮流とされる潮の流れは、大きな音が鳴り、「鳴門」の名前のもとになったとも言われます。

鳴門の渦潮は、満潮、干潮のあいだを流れる急流から発生します。ブラタモリのテーマは、鳴門が四国の玄関口となるとは?

現在、鳴門海峡は、大鳴門橋(1985年開通)で簡単に渡ることができます。現在も3つのルートのうち、最大の利用者を誇りますが、以前から四国の玄関口でした。なぜ、四国への旅人は、危険を冒してまで鳴門海峡を渡ったのでしょうか?

ページは後半に続きます。

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ブラタモリ
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小鳴門海峡と撫養街道|ブラタモリ鳴門

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ブラタモリは、鳴門海峡から南西へ向かい、小鳴門海峡の南の入口にチャーター船で向かいます(営業運行はないルート)

小鳴門海峡は、波が穏やかで、鳴門海峡のバイパスのような存在です。

地図のように小鳴門海峡を進むことで、鳴門海峡をパスして移動することができました。

小鳴門海峡の南には、撫養むやという港(地図の岡崎海岸付近)が作られ、多くの旅人が訪れました。撫養から四国側には撫養街道が続き、陸路との接続が良い便利な場所でした。

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もともと湿地帯だった場所に、撫養街道は通されました。タモリさんが、撫養街道周辺を歩くと、少し遠くの家屋が低く見え、一帯が高まっていることがわかります。なぜなのでしょうか?

日本有数の断層が、高まりを作ったのです。

中央構造線は、全長1000キロに渡る、日本最長の断層です。撫養街道は、四国内の中央構造線に沿って敷かれています。ちなみに、伊勢神宮も、豊川稲荷、諏訪大社も中央構造線上にあります。

ブラタモリは、脇坂呉服店から撫養川を渡るまで旧撫養街道を歩いています(高低差を確認しつつ、地質図を確認し、中央構造線の上を歩いていることに気づいた)。

妙見山、讃岐山脈の間の切れ目|ブラタモリ鳴門

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ブラタモリは、撫養川を東から西へ渡る付近で、東の妙見山と、西の讃岐山脈の間に切れ目があることを確認します(Googleマップのマイナスボタンを押してください)。

これは、なぜなのでしょうか?

鳴門市文化交流推進課(リンク

四国の玄関口である撫養むやという港(現在の岡崎海岸付近) は、妙見山の北側。撫養街道は、讃岐山脈の南側を進みます。切れ目があるからこそ、本州から四国へのルートが開かれたと言えます。

ブラタモリ
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讃岐山脈は、砂と泥が水平に重なった地層がもとになっています。

南からのプレートからの圧力に、断層(中央構造線)による左横ずれの相乗効果で、砂と泥の地層が90度傾いた形で地表に現れました。そして、崩れやすい砂の部分が削られたことで、切れ目ができたのです。

鳴門海峡の海底でも、砂の部分が流されたことで高低差が連続する地形となっており、渦潮が発生する1つの要因になっています。

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四国八十八ヶ所の最初の霊場|ブラタモリ鳴門

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弘法大師(空海)が巡った霊場をめぐる、四国八十八ヶ所霊場の1番目は、霊山寺りょうぜんじです。

撫養街道は、霊山寺(地図)への道でもあり、多くの人が訪ねました。

四国八十八ヶ所霊場の1番から10番札所は、撫養街道沿いの平地にありますが、その後は厳しい山道となります。白衣は死装束の備えであり、杖は墓標への備えでした。

お遍路は、自然の摂理を見て回り、歴史や文化を再発見し、自分を見つめ直す旅の道です。それは、ブラタモリの旅に似ているかも知れません。

お接待と大谷焼|ブラタモリ鳴門

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四国には、弘法大師が一緒に回っているという、同行二人の考え方から、お遍路さんをもてなす習慣があります。お接待と呼ばれます。

お接待のお返しとして、大谷焼の知識がもたらされました。大谷地区には、日本最大とも言われる登り窯があります。

  • アクセス 阿波大谷駅を北へ徒歩4分

大谷焼の壺は、徳島の藍染めにも欠かせないものでした(ブラタモリ徳島編で紹介)。

兵舎の跡|ブラタモリ鳴門

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鳴門には、第1次世界大戦時のドイツ兵の捕虜を収容していた場所があります。

1000人も捕虜を、鳴門の人々は温かく受け入れ、家庭にも招き入れました。ドイツ人は、さまざまな技術(パン、ソーセージ、チーズなど)を現地に伝えました。病気などで命を落としたドイツ人のために、慰霊碑も残っています。

  • 板東俘虜収容所跡地(ドイツ村公園) 坂東駅から徒歩17分

1918年、第九がアジアで初めて、ドイツ兵捕虜によって全曲演奏されました。

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