【ブラタモリ沖縄本島】全ロケ地|タモリさん①那覇、②首里城、③浦添・斎場御嶽・久高島へ

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ブラタモリ沖縄編は、那覇(#33)、首里城(#32)、浦添ようどれ・斎場御嶽久高島(#新春sp)の3編があります。このページでは、3つのルートをすべてご紹介します。

【#33】現在の那覇(国際通り)|ブラタモリ那覇

国際通り
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ブラタモリは、那覇の国際通りからスタート。観光地としても繁栄する那覇の中心は、かつてあった、国際劇場という映画館が由来です。

しかし戦前、那覇の国際通りは、湿地や畑が広がる「郊外」のさびしい場所でした。戦前の那覇の中心は、海沿いにあったのです。ブラタモリ那覇編のテーマは、那覇は2つあるです。

海沿いの古い那覇

波上宮
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古い那覇の痕跡を求め、ブラタモリは、波の上ビーチを訪ねます。高い崖の下には、琉球石灰岩から成るノッチ(波食窪)がありました。

ノッチは、波に浸食されてできた、岩のへこみです。昔の海面は今よりも高かったことを示唆します。

写真の岩の塊は、島だったことが想像されます。古い那覇は、島にあったのです。

  • 赤色 ノッチへの入り口(ゆいレール「県庁前」から徒歩15分)
  • 青色 ノッチ
  • 黄色 波上宮なみのうえぐう参道入り口
  • 緑色 天尊廟と天妃宮(久米至聖廟内)

ブラタモリは、ノッチを見学した岩の塊の上にある、波上宮なみのうえぐうを訪ねます。ここに、古い那覇のヒントがあるとは、どういうことでしょうか?

波上宮 古地図
那覇市歴史博物館

波上宮は、古い図屏風によると、その立地から、入港時の目印だったと推測されます。

波上宮の裏手には、信仰の対象となる御嶽うたきがあります。御嶽とは、沖縄に古くからある祈りの対象となる自然物です。神社は、後から建てられました。(小さな鉄扉の向こうの海側にあり、通常非公開)。

久米至聖廟
久米至聖廟
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ブラタモリは、波上宮近くにある「天尊廟」「天妃宮」を訪ねます。

天尊廟は九天応元雷声普化天尊きゅうてんおうげんらいせいふかてんそんという道教の神、天妃宮は航海安全の守護神である媽祖まそを祀っています。これは中国からの移民が多く、大陸との間の航海が盛んだったことを示します。

※儒学の祖・孔子とその門弟を祀った久米至聖廟(久米孔子廟)は移転しました(地図)。

明朝の命を受け、貿易や外交を進めるために沖縄に移り住んだ人々は、この島に居を構え、ここが久米村クニンダと呼ばれるようになります。首里城とは陸続きでないため、お互いに都合が良かったようです。

移住者は、久米三十六姓と呼ばれ、最先端の技術をから那覇で高い地位を得ました。姓名から、中国からやってきた始祖を特定することができます。例えば、古謝さん、亀島さん、玉木さんらの始祖は、15世紀にやって来た梁嵩りょうすうさんと分かります。具志堅さん、多嘉良さんなら、14世紀末に中国からやって来た林喜りんきさんです。(例外もあります)。

その子孫1万人程度(20〜30年前の調査)の子孫は、今でも力を持ち、仲井眞弘多県知事(始祖は14世紀末の蔡嵩さいすうさん)も末裔のひとりです。

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古い那覇の港の一部は、現在は米軍基地になっています。

モノレール旭橋駅南の入り江には、米軍基地があり、敷地内に小高い茂みがあります。これは、沖縄のお城にあたる御物おものグスクの痕跡です(地図、写真では中央の小島)。

※非公開。明治橋または対岸から撮影可能。

グスクは、おおまかに言えば城という意味で、首里城もグスクのひとつです。御物グスク内で、タモリさんは陶器の破片を発見します。「御物」という名前から分かるように、御物グスクは、品物を一時保管庫する倉庫でした。中国の陶磁器など、交易の経路にあり、南はシャム王国・マラッカ王国・南安・ルソン、北は朝鮮、九州、大和地方を結ぶ中継点でした。

戦前まで、御物グスクには風月楼という料亭がありました。日中の貿易船を見る絶景の料亭だったと思われます。

島(古い那覇)と首里城の交通路

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島であった古い那覇(久米島)は、首里城とどのように結ばれていたのでしょうか?

ヒントになるのは、ゆいレール美栄駅近く(国際通りの北東)の2つの小さな茂みです。タモリさんは、テンポイントホテル・コンドミニアムOKO近くの茂みを訪ねます。(出典 Googleマップ

これらは小島の痕跡です。かつては、2つの小島付近の浅瀬を選んで、長虹堤ちょうこうていが架けられていたのです。上の航空地図では、オレンジ色の線が目安です(左が波上宮・古い那覇、右が首里城)。

タモリさんは、長虹堤があった道を歩き、その痕跡である小さな段差を確認したあと、もう1つの茂みを見つけています。

出典『琉球風画帖 夢うつつ』ローゼル川田

絵画は、上の航空図の場所と対応する訳ではありませんが、長虹堤の様子がよく分かるものです。

地図で見る新旧の那覇

出典 浮島(那覇)
  • ノッチ(波食窪)、波上宮、久米至聖廟は、地図のに当たります。中国大陸との玄関口であった古い那覇です。
  • 御物おものグスクは、御物域と書かれた島です(の南)。現在は埋め立てられ陸続きになりましたが、米軍基地を挟むため入ることはできません。
  • 「長虹堤」は、右の地図の右上に示されています。「ガーブ川」は、新しい沖縄の中心になります。(なお、a、cは今回は無関係です)

1944年の空襲で、古い那覇は全て焼失してしまいました。その後、沖縄の中心は、国際通り付近に移っていきます。

戦後の那覇は、なぜ島から国際通りに中心を移した?

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戦後の新しい那覇のスタートは、焼き物屋が並ぶ「壺屋の町」から始まります。古い那覇の中心から外れていたため、大きな空襲を受けなかったのです。

ブラタモリは、壺屋やむちん通りを歩き、登り窯を訪ねます( ・・・ のルート)。

ブラタモリ
ブラタモリ

なぜ人々は海沿いの古い那覇の復興をあきらめたのでしょうか?

古い那覇の一帯は接収され、米軍の軍港となり、周囲1.6キロが立入禁止になったのです。住民はやむなく、壺屋の町に移住しました。なぜ、壺屋の町に移って来たのでしょうか?

収容所から開放された住民は、米軍から食糧の配給を受けて生活していました。しかし、焦土となった町には食器すらなかったため、まず、壺屋の町で食器作りが始まったのです。すると、人が集まってきた壺屋の町に変化が現れます。

ブラタモリは、壺屋やむちん通りをそのまま直進し、平和通り商店街を訪ねます ( ・・・ のルート) 。

壺屋の町に人が集まると、米軍から流れてきた食料などを売る、闇市が立つようになります。闇市は、1948年ごりに、那覇市の指導で公設市場(地図)に移され、周辺は大きな商店街となりました。平和通り商店街もその1つです。その後、島外からも人が集まると、土地が不足します。

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ブラタモリは、花笠食堂(地図)付近で不思議な段差を発見します。段差を乗り越えて、1本西のむつみ橋商店街に出ます ( ・・・ のルート) 。

土地を持たない人は、ガーブ川の土手に簡易な建物を作って商売をしていましたが、ガーブ川はたびたび氾濫を起こしました。そのため、ガーブ川を埋めて暗渠にした上で、その上に新たに土地を増やす方法が、取られたのです(1964年)。不思議な段差は、カーブ川を埋めた跡でした。

ブラタモリは国際通り(・・・)まで出て、引き返します。

ブラタモリが歩いた地図・・・のルートは、川が下に流れるため、一段高くなっています。このルートの中央付近にある傘屋さんの洲鎌商店(印)で、タモリさんは話を聞いています。そして、南端ではガーブ川が顔を出します。

【#32】首里城とは?|ブラタモリ首里城

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首里城は、那覇市中心部の東部の高台にあり、琉球王国(1429年~1879年)の政治、外交、文化の中心であった場所です。

戦争で日本軍が拠点を置いたこともあり、かつての首里城は、ほぼ破壊されてしまいました。2000年に世界遺産に認定された根拠は、首里城の地下に眠る遺構です。遺構の発掘は徐々に進められ、文献が存在する建造物は、復元が進みます。

日本は琉球王国を征服しただけでなく、さらに首里城に軍の拠点を置きました。首里城の再建は、人々の傷を少しでも癒すための事業でもあるとされています。

首里城は本土の城と異なり、周囲を曲線上の城郭が囲む、グスクと呼ばれる様式です。諸説ありますが、グスクは、宗教上の聖地という色彩も持つとも言われます(このほか集落説、支配者の居城説など)。

県内には、小さなものを中心に、約300のグスクがあります。首里がもっとも強いグスクであり、小さなグスクを制してきた歴史があります。

首里城の石積みの技術は、大陸文化の影響で、本土よりも早期に発達していたと考えられます。首里城では、原始的な野面積みではなく、加工が必要な布積み(長方形に積む)や相方積み(複雑な幾何学的紋様に積む)が存在します。

首里城の石垣の秘密

曲線型の城壁の一段低い通路は、武者走りと呼ばれます。
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タモリさんは、首里城の石垣が、本土と異なり曲線を描いていることに気づきます。これは、なぜなのでしょうか?

グスクにおいて、石垣などの建造物は、ほとんどが琉球石灰岩から作られています。石灰岩は、コンクリートの原料として知られ、サンゴや貝などの死骸がもとになる加工しやすい軟石です。

石灰岩 サンゴや貝殻、有孔虫などが元になってできた堆積岩。

石灰岩 サンゴや貝殻、有孔虫などが元になってできた堆積岩。

出典元 ページ削除

首里城を含む沖縄島中南部や、宮古島周辺の地層のベースは、泥岩です。かつて、中国大陸から大量の泥が流れ込んできました。

石垣島周辺のサンゴ礁

ところが、南西諸島の西側には、南北1千キロに及ぶ海底のくぼみである沖縄トラフがあり、泥はそこに落ち込みます。結果的に南西諸島の水質が澄み、隆起し海底が浅くなった一帯にサンゴが育つようになったのです(※論文)。サンゴが育つ条件は、海が浅く澄んでおり太陽光が届くことです。

論文 「琉球列島全域での琉球層群の層序の確立を目指して」更新世初期(1.65〜0.95 Ma)

Q サンゴ礁を扱ったブラタモリはありますか?
A ブラタモリ石垣島で扱います。

その後、南西諸島の一部が再度隆起し、一部のサンゴが地表に出て死に絶え石灰石に変化していきます。これに加え、海洋プレートが沈み込む際にはぎ取られた堆積物(付加体)由来の石灰石も混入しています。

関東では秩父セメントの武甲山が知られるように、日本では各所で石灰石が産出されます。この石灰石は、3〜2億年前に赤道付近にあったサンゴ礁の地殻変動による移動が成り立ちの古い石灰岩です。

【ブラタモリ秩父】全内容・ルートを写真でまとめと要約! #79

ブラタモリ
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日本人がお茶や白いご飯を好むのは、石灰石に関係があるとはどういうこと?

石灰石の多い地域では、水はせっけんが泡立たない硬水(カルシウム、マグネシウムが多い)になることが多くなります。しかし、日本では地形的条件から、水が石灰石に触れる時間が短いため、お茶や炊飯に向いた軟水になります。

※尾方隆幸琉球大准教授よりご指摘があり、石灰石に関する記述を訂正いたしました。

ブラタモリは、歓会門を訪ねます。歓会門では、高い技術を必要とするアーチ門が採用されています。

首里城の給水源である龍樋りゅうひ近くにある瑞泉門は、歓会門より古く、両側の柱で支える双壁門という技術が用いられています

瑞泉門付近の石垣には、隅がとがった角がしらという細工が施されます。このデザインの意図は現在も不明ですが、高い技術と美意識をうかがうことができます。

論文 首里城石積みからの探究について

ブラタモリ
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  • 首里城の石垣の特徴は、カーブを描いていること。
  • 琉球石灰岩の加工の容易さが、石積み技術の発展を促した。
  • その成果は、アーチ門、角がしら、布積み(長方形に積む)、相方積み(複雑な幾何学的紋様に積む)などで確かめることができる。

ブラタモリは、首里城の那覇港を見下ろす高台を訪ねます。首里城は、この立地から、港の監視に適していました。首里城では、琉球石灰岩が土地の浸食を防ぎ、高台の地形が維持されています。

2016年のブラタモリ取材時、首里城では、神を祀る場所である御嶽うたきの発掘作業が進められていました。

首里城の火災被害は?

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2016年のブラタモリ首里城編放映後の2019年10月、首里城は火災に遭ってしまいました。首里城正殿、北殿、南殿、書院・鎖之間、黄金御殿、二階御殿、奉神門などが被害を受けています。

文化庁の見解

  • 首里城正殿を含む9棟の建造物が全焼した。
  • 出火原因は電気系統によるものが有力だが引き続き調査中である。
  • 今回損傷した正殿の露出遺構の面積は,史跡範囲に対し約0.05%と一部に限られる。

正殿の復元工事は、2022年にスタートします。2026年の正殿の完成後、北殿や南殿の復元へと進んでいく予定となります。

高台の城・首里城では水はどうしていたの?

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現在の首里城は、電気ポンプよって水道をくみ上げていますが、かつてどのように水を確保していたのでしょうか?

南西諸島の基盤地層は、水を通しにくい泥岩(島尻層泥岩)です。

泥岩の上に堆積している琉球石灰岩は、気孔が多く水を通す作用があります。首里城では、雨が琉球石灰岩を通過し、島尻層泥岩で止まり、低いところへ地下水脈として流れていきます。その出口が、龍樋りゅうひと呼ばれる湧水です。

ブラタモリは、龍樋の水がほんとうに琉球石灰岩を通過した硬水であるかどうか、調査しました。するとカルシウムが多く、地中に長く留まっていた証となる、高い電気伝導度も計測されました。

  • 龍樋は、龍の口の形をしたといが語源。
  • 瑞泉門は、立派な泉という意味で、龍樋に近いため名づけられた。

琉球王朝時代から続くみそ店、そして泡盛

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ブラタモリは、首里城の北にある、玉那覇味噌醤油を訪ねます。琉球王朝時代から170年存続するみそ店です(地図)。

玉那覇味噌醤油の直下には、地下水脈が流れており、200~300年前から湧く井戸を味噌づくりに使用しています。製造している味噌は、県内の高級料理店でも使われています。

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ブラタモリは、首里城の南にある、瑞泉酒造を訪ねます(地図)。

黒麹のはたらきで発酵を促す泡盛は、かつて首里城周辺の40名だけに製造が許可されていました。アルコール度数が高いので、泡が盛ることが語源です。

泡盛を扱うお店のステータスが、古酒のストックですが、戦争で全て焼失してしまいました。60年前に古酒づくりを再出発しています。

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ブラタモリは、首里城の南にある文武館総本部道場を訪ねます。空手は琉球王国が生んだ武道です。

首里城は余った泡盛を、各酒造が独自に売りさばくことを認めていました。

そのため酒造は、泡盛を那覇に運びましたが、泡盛そのものや売上金を狙う強盗に襲われることがありました。そのため酒造では武人を募ります。これが中国拳法に影響を受け、独自に発達した空手の原点になります。

ブラタモリでは玉那覇味噌醤油から西へ徒歩2分、大中集合住宅前にある祈りの湧き水を訪ね、沖縄と首里の歴史に思いを馳せました。

【#2020新春SP】那覇空港駅|ブラタモリ浦添ようどれ・ 斎場御嶽・久高島

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ブラタモリ2020年新春スペシャル(浦添、久高島)は、モノレールの那覇空港駅からスタート 。

2019年11月のロケですが、気温は27度。タモリさんは、浦添方面まで延伸したモノレールに乗車します。少し遅れて、笑福亭鶴瓶さんが到着します。

ブラタモリと、鶴瓶の家族に乾杯とのコラボは、毎年の恒例です。

タモリさんは、車窓から車両基地などを見学しつつ、終点の浦添方面をめざします。

途中勾配が多く、60‰(パーミル)の最大勾配を迎えます。モノレールはゴムタイヤのため、摩擦が小さい鉄道では難しい勾配を、登ることができます。車内では、摩擦を最小限にした、リニアモーターカーも話題になります(ブラタモリ甲府盆地)。

車窓には、2019年10月に火災に遭ってしまった首里城を望みます。モノレールは、新たに誕生したトンネル区間を抜け、てだこ浦西駅に到着します。

浦添グスク

読者様ご提供①
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ブラタモリは、てだこ浦西駅から、浦添グスク(浦添城跡)を訪ねます。

※ブラタモリ新春スペシャルでは、太陽や日の出をイメージして、東へ東へと歩を進めています。

読者様ご提供②
読者様ご提供③

写真提供 旅するベーシスト外山タロウさん

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ブラタモリは、グスク内にある、英祖王統のお墓と言われる「浦添ようどれ」を訪ねます 。

暗しん御門くらしんうじょうを経て、明るいお墓の門に着きます。これは、太陽が登ること実感する意図だと言われます。門は、冬至の日に、日の出が見られる角度に作られています。冬至の日の弱い太陽に合わせたのは、再生を象徴するからだと言われています。

浦添ようどれから海の向こう、東側に臨む細長い島は、久高島です。久高島にも、太陽が顔をのぞかせる、穴のようなものがあるはずです。

沖縄では、東方にニライカナイ(理想郷)があると、信じられています。冬至の太陽が通る線に、首里城、浦添ようどれ、久高島の全てが入っています。

斎場御嶽

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タモリさんは、琉球王国最高の聖地である、斎場御嶽うたきに向かいます。沖縄本島の南東、久高島の対岸にあります。

うたきは、祈りの場という意味です。斎場御嶽の入口から先は、以前は、男性は入れませんでした。沖縄では、女性に霊力があると、考えられていたのです。

タモリさんは、まず大庫理を訪ねます。

50万年前の若い琉球石灰岩に覆われています。ブラタモリ秩父で見た、古い石灰岩とは、大きく様子が異なります。斎場御嶽は、大きな鍾乳洞が崩れ、残った部分が、現在目に見える場所です。

ブラタモリは、三角岩を訪ねます。沖縄は、泥岩に石灰岩が乗った地形です。泥岩は地滑りを起こしやすく、地滑りを起こすと石灰岩も崩れます。石灰岩が崩れてできた地形が三角岩です。

斎場御嶽からは、(現在は)対岸の久高島が見えます。三角岩は、ニライカナイ(理想郷)から届く霊力を溜め込む場所だったのです。

久高島

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鶴瓶さんは、ブラタモリがチャーターした海上タクシーを横取り?して、久高島を訪ねます。

鶴瓶さんは、久高島を歩きます。乗船係の男性からスタートし、何人かと会話しつつ、船の切符売場でかき氷を食べ、少し滞在しました。その後、海ぶどう製造の、福YOUを訪ねます。さらに、食料品などを扱う内間商店で、久高島最年長のおばあさんと会話します。最後に、久高島産の塩をもらいます。

同じ時間帯、タモリさんは沖縄本島の斎場御嶽を出て、海岸に出ます。

タモリさんは、与那国馬に乗って、久高島がよく見える場所に移動します。沖縄を作った神さま、アマミキヨが上陸したと伝えられる地点です。稲作が行われていました。石灰岩と泥岩の境目から、水が染み出していたからです。

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タモリさんは、鶴瓶さんとすれ違うように久高島に上陸します。

まず、神殿を訪ねます。イザイホーと呼ばれる神事が行われていた場所です。隣の建物からは、燻製のにおいがします。何を燻製しているのでしょうか?

神様からの贈り物で、以前は聖職者しか口にできなかった、イラブーの燻製を作っていたのです。

久高島は、森林に囲まれた細長い島で、南北を結ぶ長い道が印象的です。

ブラタモリは、東の隅にある岬を訪ねます。周囲は浅瀬となっており、17.5mの高さがあった久高島は、海水のかさが上がっても耐えることができ、神話の島となったのです。

ブラタモリと、鶴瓶の家族に乾杯とのコラボは、毎年の恒例です。

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