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【ブラタモリ熱海】タモリ推奨の熱海の歴史・地形・観光ルートまとめ #27

2018/01/20

【現地取材】NHK番組のブラタモリ熱海編で、タモリさん推奨の熱海の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ熱海編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

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ブラタモリ紹介地は、湯〜遊〜バスで回ることができます

錦ヶ浦 熱海

熱海は坂が多いため、徒歩だけでなく、バスやタクシーの利用がおすすめです。熱海駅を経由し、市内をぐるりと回る湯〜遊〜バスが30分に1本程度運転されており、大変便利です(土日祝日は最短15分間隔)。

ブラタモリおすすめのスポットで、ぜひ回りたいところは、錦ヶ浦(=写真)です。観光客の人気を集めるサンビーチとは、大きく印象が異なる絶景であり、熱海の地形的な成り立ちがわかる貴重な場所です。立ち入り自由ですが、ホテルニューアカオが管理しているためか、観光地ランキングから漏れる傾向があるようです。

次点は、建物としての歴史があり、海の景色も間近な旧日向別邸です(見学要予約)。熱海駅からは急な登り坂ですが距離は近く、徒歩で訪ねることができます。

このほかでは、鉄道に興味があれば丹那神社(JR来宮駅を利用)、平安時代から続く熱海の歴史に興味があれば大湯間欠泉跡、文学派にはお宮の松がおすすめです。

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温泉地熱海はどのようにできたのか?:ブラタモリ熱海

錦ヶ浦は、ホテルニューアカオが所有する景勝地ですが、ホテル利用者以外も見学が可能です。ブラタモリは、海沿いに建つホテルニューアカオの大浴場を訪ねます。不思議なことに、温泉のお湯で石鹸を泡立てることができません。なぜなのでしょうか?

石鹸が泡立たないのは、塩分やカルシウムを含んでいることによります。熱海の温泉には、海が関係しているようです。このあとブラタモリは、ホテルニューアカオのレストランや敷地内から海食崖や海蝕洞(奇岩)を観察しました。

ニューアカオ

実際には、ホテルニューアカオのレストランや敷地内でなくても、写真のように、海食崖や海蝕洞(奇岩)を十分以上に観察できることがわかります。

  • 海食崖(かいしょくがい)… 陸地が海へ突き出た部分が、波の浸食で切り立った崖になったもの。
  • 海蝕(食)洞 … 海食崖に波の浸食で空いた穴。

熱海

海食洞のすぐそばは、宿泊客のみとなりますが、ホテルニューアカオの正門から少し離れた場所に、一般の人も敷地内を見学できる場所があります。そこでは、足がすくむような絶景を見ることができます。

  • 一般見学可:ホテルニューアカオ正門とリゾートホテルロイヤルウィング正門の中間地点に入口があります。

タモリさんが、間近から奇岩を観察すると、溶岩であることがわかります。正確には、水冷破砕溶岩と呼ばれ、海底火山の溶岩流が海水で急速に冷やされ、熱やひずみで砕け散ったものです。

熱海付近には、かつて多賀火山があり、その火口の一つが海底にあったのです。その熱で海から陸にかけての水が温められ、噴出したことで、熱海に温泉が湧きました。そのため熱海の温泉は、塩分を含みます。

熱海温泉成り立ち

ブラタモリでは紹介されませんでしたが、ホテルニューアカオの敷地内(一般立ち入りも可能)には、熱海温泉の成り立ちを神話形式で教える石碑があります。

  •  ホテルニューアカオ正門
  •  錦ヶ浦一般見学入り口
  •  湯~遊~バス 錦ヶ浦バス停

貫一とお宮の像(お宮の松)は熱海の地形を知っている:ブラタモリ熱海

貫一とお宮

熱海の名所のひとつが、寛一とお宮の像。尾崎紅葉の『金色夜叉』の一場面です。

家の意向で大富豪に嫁ぐお宮。婚約者だった寛一は、熱海の海岸でお宮を蹴り飛ばすほど激怒します。余りの悔しさに「来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」と言います。

熱海

お宮と寛一の像の裏の海岸に出ると、熱海が三方を山に囲まれた地形であることがよく分かります。熱海海岸は東向きのため、夕景は期待できず、昼間か夜景がおすすめです。

ブラタモリが紹介したように、熱海海岸の砂浜は本来は、黒い砂です。現在の美しい白い砂は、房総から運んだものです。

時間がない場合は

お宮の松や熱海海岸に寄る時間がない場合、熱海駅から錦ヶ浦へのバス(湯〜遊〜バス)車窓から見学することができます。

image

バス車窓からのお宮の松の撮影は、少し難しいですが撮れなくはありません。

もとの温泉街の面影を感じながら歩く(大湯間欠泉跡):ブラタモリ熱海

熱海の温泉としての歴史は大変古く、例えば江戸時代後期の温泉番付である、諸国温泉功能鑑では、別格として行司扱いされています。人気の原点となったのが、徳川家康。幕府を開いた翌年、1週間熱海で湯治し他の武将にも勧めたとされます。

徳川家康ゆかりの地:【ブラタモリ三保松原】歴史・地形・観光ルートまとめ #sp

豆州熱海絵図という古地図

現存する最古の熱海の地図が、豆州熱海絵図です(1681年)。絵図に描かれているのは、大湯と呼ばれる、元湯を中心とした温泉街です。当時は湯戸と呼ばれる湯治宿が、27戸ありました。湯戸は、湯株と呼ばれる温泉の利用権を持った特権階級でした。大湯を中心とした温泉集落は、遅くとも平安末期までには成立していたと思われます。

温泉集落に近づく部分は下り坂となり、町の中心部は平らになっています。これは、周辺が扇状地として成立したことを示しています

ブラタモリは、豆州熱海絵図において温泉街の中心を貫く本町通りを歩き、大湯間欠泉跡に向かいます。現在は、ニューフジヤホテルなど大型のホテルが立ち並びます。

大湯間欠泉

大湯間欠泉は大正末期に枯れてしまい、現在はポンプでくみ上げ間欠泉を再現しています。間欠(歇)泉とは、一定周期で水蒸気や熱湯を噴出する温泉のことを指します。

豆州熱海絵図の時代には、大湯から下る坂の周辺に湯治宿が立ち並んでいました。木管を使い自然の傾斜で湯を送っていたのです。

この場所にある熱海温泉 古屋旅館は、江戸時代から続いている旅館です。古屋旅館に眠っていた版木を、タモリさんが刷ってみると、沢庵和尚による熱海を主題にした歌が彫ってありました。旅館が宣伝に使っていたものと思われます。

熱海御用邸と別荘地:ブラタモリ熱海

熱海

明治以降、温泉街の周辺には、皇室熱海御用邸が建ち、それを起爆剤に別荘が増えました。傾斜地に建ち、緑やその向こうに広がる海を見下ろす借景を持つ熱海の別荘は、大変な人気を誇りました。

かつての別荘のうち旧日向別邸が現存しています。写真は日向別邸を見降ろす位置にあるカオサン熱海温泉旅館&ホステルから撮影したものです。

宿泊レポ:熱海で安い良宿! カオサン熱海温泉はオーシャンビュー温泉やっべー(姉妹サイト)

日向別邸パンフ

日向別邸には、熱海の海のより良い眺めを得ることを兼ね、階段状にデザインされたスペースがあります。

※見学は週末を中心とした予約制。

丹那トンネルは熱海の救世主:ブラタモリ熱海

熱海海岸

熱海~三島間には、工事の難しい山地(=写真)が横たわっているため、東海道線は熱海の手前から現在の御殿場線を回るルートで運行していました。

丹那トンネル

出典:丹那神社「丹那トンネルについて」

しかし、難工事の末、丹那トンネルが開通。熱海はようやく東海道本線の駅に昇格し、年間191万人の観光客を集めました。その後も観光客は増え続け、年間1000万人に到達。昭和22年(1947年)頃、熱海は水不足に悩まされるようになります。

このとき意外な形で貢献したのが、丹那トンネルでした。芦ノ湖3つ分の水が湧いたと言われたほどの難工事でしたが、排水していた湧き水を、丹那用水として利用することを決めます。運が良いことに、熱海市街へ水道を供給するには、水源から市街への傾斜がちょうどよいことがわかりました。望ましい水圧を、自然に調えることができたのです。

tunnelhead

JR来宮駅そばの丹那神社境内脇からトンネル前に下りると、2つの4桁の数字を確認できます。それぞれ西暦1918年、西暦1934年を皇紀で示したものです。丹那トンネルが、多くの犠牲者に支えられながら完成した、工事期間を示しています。

東海道本線を通すことで観光地として熱海を盛況に導き、水がめともなった丹那トンネルの存在が、熱海の発展を支えてきたのです。

関連記事:熱海駅近 安くて驚きの海鮮丼と立ち寄り湯を公開〜地元民が愛用〜

※トラベルジャーナは、現地取材を中心としていますが、ブラタモリ関連の記事には、やむを得ずキュレーション(まとめ)の手法を用いています。関東甲信越の範囲は、順次現地取材を行っています。

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