ブラタモリのまとめ

【水戸(水戸黄門)】ブラタモリ紹介の歴史・地形観光スポットまとめ…2017.1.28

2017/01/29

NHK番組のブラタモリで、水戸の歴史や地形、あるいは「水戸黄門」を踏まえた観光スポットが紹介されました。旅行の備忘録や教養のためにぜひご利用ください。

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前回のブラタモリ(タイトルはクリックできます)

【金毘羅(こんぴら)さん】ブラタモリ紹介の歴史・地形観光スポットまとめ…2017.1.21

水戸とは/ブラタモリ水戸

ブラタモリが訪ねる水戸は、茨城県の県庁所在地です。梅の名所である偕楽園、水戸納豆、そして水戸黄門で知られています。

ほしいも

茨城県で全国の9割を生産するのが「干しいも」で、水戸の人気のお土産品です。意外に安く手に入り、味も良いです。

水戸黄門の正体とは/ブラタモリ水戸

水戸駅

ブラタモリは、水戸駅前からスタートします。水戸黄門像も立てられています。ブラタモリ水戸編のテーマは、水戸黄門は、なぜ人気があるのか。

水戸黄門(徳川光圀、水戸光圀)人気は、ドラマによる虚像とのイメージがあります。しかし、実は存命中から大変な人気があり、亡くなったあと、次のような句が読まれました。

天が下 二つの宝つきはてぬ 佐渡の金山 水戸の黄門

(現代語訳)この世の中から2つの至宝がなくなってしまった。一方は金が出なくなった佐渡の金山、他方はかの水戸光圀公である。

水戸黄門は、実際にはどのような人物だったのでしょうか?

水戸城の痕跡/ブラタモリ水戸

ブラタモリは、水戸城を目指します。水戸駅近くの水郡線は、かつての水戸城の堀を利用したものです。

水戸城

水郡線をまたぐ橋を渡ると、水戸城本丸の跡地に建てられた、水戸第一高校があります。すぐに現れるのが。薬医門です(水戸第一高校は、薬医門見学の場合は、薬医門まで入校可)。

水戸城 薬医門

薬医門は水戸城の現存する唯一の建造物です。水戸黄門の前の佐竹氏(安土桃山時代)が立てたものを、そのまま受け継ぎました。堀も佐竹氏が作ったもの。土塁(非公開。薬医門すぐそばの駐車場付近)も安土桃山時代のものです。水戸城は、徳川御三家の城にも関わらず、天守閣も石垣もありません。なぜなのでしょうか?

水戸藩は、「すでにあるもの」の再利用を進めました。ある年、水戸藩は、8742両の収入に対し、18660両の支出を記録しています。大赤字だったのです。借金もあり、2300両もの利息を支払っていました。水戸藩は、江戸城との行き来が多い二重生活となり、生活コストが高くついたことも背景にあります。

水戸城地図

出典:気分はガルパン様作成の地図を加工いたしました。

ブラタモリが訪ねたルートは、水戸駅から水郡線の線路の左を進み、水郡線に架かる橋を渡り、本丸(水戸第一高校)へ至るルートです。続いてタモリさんは、第4の堀の中央付近と、北端付近へ向かいます。

水戸城の堀の痕跡を探る/ブラタモリ水戸

ブラタモリは、水戸城跡を離れ、堀の痕跡を探ります。水戸城の西側には5本の堀があります。タモリさんは4本目の堀があった場所を訪ねます。道路に痕跡が残されていました(地図印)。水戸駅から徒歩15分程度、京成百貨店が目印です(水戸駅北口4番・5番バス停からのバス路線も利用可)。

4本目の堀の跡に作られた道路は、多少の高低差を伴います(地図印)。

水戸城地図

水戸城の城下町は、那珂川、千波湖に挟まれた場所にある河岸段丘に位置します。河岸段丘に南北から切れ込んだ谷を堀り進めることで、効率よく堀を作ったのです。徳川光圀(水戸黄門、水戸光圀)の父、徳川頼房の業績です。

ブラタモリは台地(河岸段丘)の北の縁(へり)まで歩きます(地図印)。急な坂道から、城下町が台地に作られたことが分かります。

石の水道/ブラタモリ水戸

水戸城の城下町では、井戸を掘っても良い水が出ませんでした。水不足の問題を解決したのが、水戸光圀公です。水戸黄門が引いた、笠原水道とはどんなものなのでしょうか?

笠原水道

出典:笠原水道 探訪記

ブラタモリは、水戸城の東側の城下町に引かれた、笠原水道の源泉を訪ねます(地図印)。水源のそばの台地は、不透水層の上に透水層が重なった地層です。そのため、雨水が地中を経由し、地表に湧き出しています。

交通(水戸保健所が目印)

水戸駅北口8番バス乗り場から、メディカルセンター前までバスで15分。

  • 関東鉄道の本郷・畑中・払沢循環行き(文化センター・本郷方面)
  • 関東鉄道の払沢・畑中・本郷循環行き(払沢方面)
  • 茨城交通の払沢行き、本郷行き(千波・笠原メディカルセンター前方面)

江戸時代からわき続ける水を実際に飲んでみたタモリさんは、笠原水道の設置されていたルート(地図印付近)をたどります。周囲は湿地帯となっています。

笠原水道のルートをたどり、ブラタモリは、暗渠の痕跡が残る場所(地図印)を訪ねます。すぐ近くには、石の水道管の一部が展示されています(地図印)。なぜ水戸の笠原水道は、石で作られているのでしょうか?

笠原水道

出典:笠原水道 探訪記

展示された笠原水道の一部をよく観察すると、わざと隙間が開けられています。笠原水道が、石で作られているのは、耐久性が強く湿地帯に向くからです。わざと隙間が開けられているのは、湧水を取り込み、水量を増やす工夫です。

ブラタモリは、水戸駅や偕楽園駅に近い、城下町の南側に移動します。JR常磐線の線路脇に、石切り場が残されています(一般非公開)。凝灰質泥岩は、崩しやすく軽く、水道管づくりに適していました。

大日本史と水戸黄門の人気/ブラタモリ水戸

弘道館

ブラタモリは、水戸駅すぐ北にある弘道館を訪ねます。弘道館は、江戸時代後期に水戸藩に作られた藩校です。弘道館は、第9代水戸藩主の徳川斉昭(写真の石像)によって建てられました。

一方、第2代藩主徳川光圀(水戸黄門、水戸光圀)の教育面での功績は、「大日本史」の編纂です。402巻もある歴史書であり、水戸光圀が編纂をはじめ、完成は250年後、明治時代に入ってからでした。「大日本史」は別の場所で編纂されましたが、弘道館に資料が展示されています。水戸黄門の諸国漫遊伝説は、大日本史の編纂に関わった、水戸藩士の全国訪問を題材にしたという説もあります。大日本史は、江戸時代に全国の藩校で採用されました。

偕楽園の秘密/ブラタモリ水戸

ブラタモリは偕楽園を訪ねます(水戸駅北口偕楽園行きバスで約20分。梅の季節はJR偕楽園駅が臨時開業)。

偕楽園 竹林

偕楽園の梅林に至る竹林は、勉強で疲れた頭を落ち着かせ、思考を深めるためにあります。

偕楽園

竹林も華やかな梅林も、偕楽園の構成要素です。これは厳格に、時には寛容に生きるべきという儒学の思想「一張一弛」を体現したものでした。藩校である弘道館と、2つの顔を持つ偕楽園は、一体化した教育施設だったのです。偕楽園には、大名屋敷につきものの池がありません。なぜなのでしょうか?

あるものを有効活用するのが旨だった水戸藩は、自然の千波湖を活用し、借景で済ませています。

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