ブラタモリ全放送回まとめ

【ブラタモリ沖縄首里城】タモリ推奨の首里城の歴史・地形・観光ルートまとめ #32

更新日:


NHK番組のブラタモリ沖縄・首里城編で、タモリさん推奨の首里城の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ首里城編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。


首里城とは:ブラタモリ沖縄首里城

首里城は、那覇市中心部の東部の高台にあり、琉球王国(1429年~1879年)の政治、外交、文化の中心であった場所です。

首里城

ブラタモリは、首里城を訪ねます。沖縄戦で日本軍が拠点をおいたため、首里城はことごとく破壊されました。2000年に世界遺産に認定された根拠は、首里城の地下に眠る遺構の存在です。遺構の発掘は徐々に進められ、文献が存在する建造物は、復元が進みます。

日本は琉球王国を征服しただけでなく、首里城に軍の拠点を置いたことがその破壊につながりました。首里城の再建は、沖縄の人の傷を少しでも癒すための事業でもあるとされています。

首里城

首里城は本土の城と異なり、周囲を曲線上の城郭が囲むグスクと呼ばれる様式です。諸説ありますが、グスクは、宗教上の聖地という色彩も持つとも言われます(このほか集落説、支配者の居城説など)。

沖縄県内には、小さなものを中心に、約300のグスクがあります。首里がもっとも強いグスクであり、小さなグスクを制してきた歴史があります。

首里城の石積みの技術は、大陸文化の影響で、本土よりも早期に発達していたと考えられます。首里城では、原始的な野面積みではなく、加工が必要な布積み(=長方形に積む)や相方積み(=複雑な幾何学的紋様に積む、写真)が存在します。

曲線型の城壁の一段低い通路は、武者走りと呼ばれます。


旅行や外出の前に、旅行先でのヘアスタイル維持はブラシとシャンプー選びでほぼ決まるをお読みください。

首里城の石垣の秘密:ブラタモリ首里城

首里城石垣

ブラタモリは、首里城の石垣が、本土と異なり曲線を描いていることに気づきます。これは、なぜなのでしょうか?

沖縄のグスクにおいて、石垣などの建造物は、ほとんどが琉球石灰岩から作られています。石灰岩は、コンクリートの原料として知られ、サンゴや貝などの死骸がもとになる加工しやすい軟石です。

沖縄の地層

出典:http://www.web-gis.jp/GS_Okinawa-Gama/gama-index.html

首里城を含む沖縄島中南部や宮古島周辺の地層のベースは、泥岩です。中国大陸から流れ込んだ泥によって作られたものです。

ある時期に、南西諸島の西側に、沖縄トラフ(南北1千キロに及ぶ海底のくぼみ)ができ、泥はそこに落ち込むようになります。結果的に南西諸島の水質が澄み、隆起し海底が浅くなった一帯にサンゴが育つようになります。サンゴが育つ条件は、海が浅く澄んでおり太陽光が届くことです。その後南西諸島の一部が再度隆起し、一部のサンゴが地表に出て死に絶え石灰石に変化していきます。なお、沖縄には付加体の石灰岩もあります。付加体とは、海洋プレートが沈み込む際にはぎ取られた堆積物です。

関東では秩父セメントの武甲山が知られるように、日本では各所で石灰石が産出されます。この石灰石は、3〜2億年前に赤道付近にあったサンゴ礁の地殻変動による移動が成り立ちのため、南西諸島のものとは異なります。石灰石の多い地域では、水はせっけんが泡立たない硬水(カルシウム、マグネシウムが多い)になることが多いですが、日本では地形的条件から、水が石灰石に触れる時間が短いため軟水になります。軟水の方が炊飯やお茶には向いていますので、日本文化は石灰石の地形的な条件に影響を受けているとも言えます。

※尾方隆幸琉球大准教授よりご指摘があり、石灰石に関する記述を訂正いたしました。

関連記事:【ブラタモリ秩父】歴史・地形・観光ルートまとめ #79

歓会門

ブラタモリは、歓会門を訪ねます。歓会門では、高い技術を必要とするアーチ門が採用されています。

瑞泉門 首里城

首里城の給水源である龍樋(りゅうひ)近くにある瑞泉門は、歓会門より古く、両側の柱で支える双壁門という技術が用いられています

瑞泉門付近の石垣には、隅がとがった隅がしらという細工が施されます。このデザインの意図は現在も不明ですが、高い技術と美意識をうかがうことができます。

まとめ

  • 首里城の石垣の特徴は、カーブを描いていること。
  • 琉球石灰岩の加工の容易さが、石積み技術の発展を促した。
  • その成果は、アーチ門、隅がしら、布積み(=長方形に積む)、相方積み(=複雑な幾何学的紋様に積む)など、様々な点に確かめることができる。

首里城

ブラタモリは、首里城の那覇港を見下ろす高台を訪ねます。首里城は、この立地から、港の監視に適していました。首里城では、琉球石灰岩が土地が浸食されるのを防ぐため、高台の形状が維持されています。

現在(=ブラタモリ放映時)、首里城では、髪を祀る場所である御嶽(うたき)の発掘作業が進められています。

高台の城・首里城では水はどうしていたの?:ブラタモリ首里城

首里城 地図

出典:http://www.ne.jp/asahi/okinawa/hiro/syuri.htm

現在の首里城は、電気ポンプよって水道をくみ上げていますが、かつてどのように水を確保していたのでしょうか?

上述のように、南西諸島の基盤地層は、水を通しにくい泥岩(=島尻層泥岩)です。泥岩の上に堆積している琉球石灰岩は、気孔が多く水を通す作用があります。首里城では、雨が琉球石灰岩を通過し、島尻層泥岩で止まり、低いところへ地下水脈として流れていきます。その出口が、龍樋(りゅうひ)と呼ばれる湧水です。

※龍樋は、龍の口の形をした樋(とい)が語源。瑞泉門は、立派な泉という意味で、龍樋に近いため名づけられた。

ブラタモリは、龍樋の水がほんとうに琉球石灰岩を通過した硬水であるかどうか、調査しました。するとカルシウムが多く、地中に長く留まっていた証となる、高い電気伝導度も計測されました。

琉球王朝時代から続くみそ店:ブラタモリ首里城

玉那覇味噌醤油

出典:楽天・沖縄よーんなーライフ

ブラタモリは、首里城の北にある、玉那覇 味噌醤油を訪ねます。琉球王朝時代から170年存続するみそ店です(地図はこちらから)。

玉那覇 味噌醤油の直下には、地下水脈が流れており、200~300年前から湧く井戸を味噌づくりに使用しています。製造している味噌は、県内の高級料理店でも使われています。

首里城周辺の40名に限定されていた泡盛生産:ブラタモリ首里城

ブラタモリ一は、首里城の南にある、瑞泉酒造を訪ねます。黒麹のはたらきで発酵を促す泡盛は、かつて首里城周辺の40名に製造が許可されていました。アルコール度数が高いので、泡が盛ることが語源です。泡盛を扱うお店のステータスが、古酒のストックですが、沖縄戦で全て破壊されてしまいました。60年前に古酒づくりを再出発しています。


泡盛と空手の意外な関係:ブラタモリ首里城

ブラタモリは、首里城の南にある文武館総本部道場を訪ねます。空手は琉球王国が生んだ武道です。

首里城は余った泡盛について、各酒造が、独自に売りさばくことを認めていました。そのため各酒造は、泡盛を那覇に運びましたが、泡盛そのものや売上金を狙う強盗に襲われることがありました。そのため各酒造では武人を募ります。これが中国拳法に影響を受け、独自に発達した空手の原点になります。

ブラタモリでは玉那覇味噌醤油(地図はこちらから)から西へ徒歩2分大中集合住宅前にある祈りの湧き水を訪ね、沖縄と首里の歴史に思いを馳せました。

関連記事(一部広告を含む)

-ブラタモリ全放送回まとめ

Copyright© トラベルジャーナ , 2018 All Rights Reserved Powered by STINGER.