【ブラタモリ栃木・佐野 全ロケ地】タモリさんが佐野のほしいモノを探る#241

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ブラタモリ佐野(栃木県)編で、タモリさんが、佐野の未知の魅力を紹介します。このページでは、ブラタモリ佐野編の、内容、ロケ地、アクセスを分かりやすくご紹介します。

下のリンクで「ブラタモリ」の体験視聴をご案内中です(「どうする家康」は初回から視聴OK)。

佐野(栃木県)とは?|ブラタモリ佐野

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ブラタモリは、佐野厄除け大師前からスタート(地図)。

佐野厄除け大師の正面玄関である、山門向いの佐野ラーメン店も映りました(佐野名物イモフライもあり)。

タモリさんは、佐野厄除け大師の本堂でお参りします。

JR佐野駅

佐野市は、栃木県南西部にある人口約11万人の中都市です。緑に恵まれた山のふもとのエリアと、住宅や産業が発達した南西部のエリアからなる町です。

古くは万葉集に詠まれた三毳みかも山、奈良の都からの旧東山道沿いの町として、また戦国時代には唐沢山城が、江戸時代には宿場町として栄え、古い歴史があります。

近年は佐野ラーメン(豚骨など醤油味のスープに、青竹打ちの平麺)と、佐野プレミアム・アウトレットが人気を集めます。

信長、秀吉、家康…三英傑を魅了した佐野のモノとは? タモリさんが、旅のお題「佐野は“ほしいモノ”にあふれてる!?」を探ります。

ブラタモリ三英傑

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ブラタモリは、佐野厄除け大師の梵鐘(目立つ金色の鐘ではなく、銅鐘)を見学。佐野は、天明鋳物の産地です。

1500℃の鉄を流し込む!迫力の鋳物づくり|ブラタモリ佐野

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佐野の鋳物づくりは、1500℃もの高温で鉄を溶かして鋳造ちゅうぞうする伝統的な技法。鋳造とは型に、熱々の金属を流し込む工法です。

江戸時代から鋳物づくりの町として知られており、現在でも多くの鋳物メーカーが集まっています。

ブラタモリは、鋳造の職人さんも信仰する金山大明神を経て、すぐ近くの天明鋳物の若林鋳造所を訪ねます。

若林鋳造所のある通りや一帯は、鋳造所が多く集まっていましたが、現在残るのは4軒のみ。広い駐車場や大きな建物のあるお宅は、元鋳造所であることが多いようです。

タモリさんは、若林鋳造所の作業場(一般非公開)を見学します。

若林鋳造所の作業場(一般非公開)には、古い窯や鋳型が置かれています。左の赤い布の方向に、金山大明神があり、作業前には安全を祈願します。

佐野の鋳物(天明鋳物)の特徴

  • 高温で鉄を溶かすため、結晶が作り直され不純物が除かれ、非常に丈夫。
  • さまざまな形状に鋳造することができ、各種製品に応用。
  • 素朴で力強い。

原点は、10世紀に、現在の大阪南部から伝わった兵器製造の技術でしたが、茶の湯釜(佐野市郷土博物館に所蔵)や鐘、仏像から、鍋などの生活用品に至るまで、幅広く応用されました。

タモリさんが気になったのは、鋳型。外型と中子(中型)があり、隙間に溶けた金属を流し込みます。プリンが中子なら、プラスチックケースが外型のようなイメージです。

写真の場合、外型は2つ1組。手前は、湯を注ぐ穴や鐶付かんつき(釜を持つ際に環を通す部分)があり茶釜の上半分(上型と呼ぶ)、奥は下半分(下型と呼ぶ)です。

外型は、渡良瀬川などの砂と、粘土から作ります。中子は、湿った砂を外型に入れ、1度取り出して、削って少しサイズダウンさせて作ります。プリンが中子なら、スプーンで少しだけ削り取るイメージです。

鋳型は、割って鋳物を取り出すため、たったの1度しか使えません。

鋳型の製作だけでも半月はかかります。使い終わった鋳型は、敷き詰められた砂に戻してゆきます。この砂は、先祖代々受け継がれており、職人は異物を持ち込まないように、履物をよく掃除して作業場に立ちます。

鋳物づくりがピークだった頃、作業場には多くの職人が詰め、夜通しの作業にあたりました。それを見越して、写真の通りには、職人さん向けの団子屋さんも現れたそうです。

千利休が欲しがった“あれ肌”鋳物とは?|ブラタモリ佐野

若林鋳造所所蔵 江戸時代中期の茶釜
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特に、茶の湯釜は、荒れた肌あいを持つ素朴さが評価され、千利休も愛用しました。

茶道は、茶室や庭を含め、全体の統一感を重視します。質素を好んだ千利休は、その一環として、佐野の天明釜(栃木県佐野市天明町で生産された茶の湯釜の総称)を好みました。

佐野の茶の湯釜(天明釜)は、三英傑(ブラタモリ三英傑)にも愛用されました。

  • 豊臣秀吉 …特に「責紐釜せめひもがま」(上側の口が小さく肩が丸く、穴状の部分に紐を通して口を封印できた)を気に入った。毒などの異物の混入を防ぐ形状とされる。
  • 織田信長 …信長に非常に高額な茶器を献上し配下に入った戦国大名・松永久秀(大和国)は、のちに信長と対立し、「平蜘蛛釜」を差し出せば除名すると伝えられたが、拒否し自害した。
  • 徳川家康 …天明釜に「梶」という名前をつけて愛用。

タモリさんは、特に「責紐釜」に興味を持ちました。

難攻不落!謙信でも落とせなかった山城とは|ブラタモリ佐野

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唐沢山城は、佐野氏が居城とした場所です。

アクセス 車が便利です(地図)。徒歩の場合、東武田沼駅から徒歩40~50分。大変急な登りです。車道は狭く見通しが悪いですので、ご注意ください(ただし、ブラタモリ放映前の平日は訪問者は少なめ)。なお、別に登山道があるかも知れません。

上杉謙信がどうしても欲しかった唐沢山城。天狗岩を上ると、南、西、北が一望できます。南進を目指す、上杉謙信の戦略に欠かせないものだったものだったです。

南城からの景色。

高い崖を作ったのは、チャート。海洋プレートから離れ、縦になったチャートは風化しにくく、鋭い山を作ります。

チャートが高い山を作る仕組みは、ブラタモリ足利編で取り上げられました。

ブラタモリ足利編でタモリさんが訪ねたチャートの露頭
チャートは、放散虫というプランクトンからできており、その殻はガラス質で非常に硬い。

ブラタモリ足利編

上杉謙信(越後)と北条氏(相模)の列強に挟まれ、特に上杉謙信には10年に渡り攻め立てられましたが、勝ち負けをくり返し、持ちこたえました。

戦国時代の関東では珍しかった石垣を多用した、堅固な山城でした。佐野から家康を見張った、秀吉の深謀遠慮だったのです。

鏡石は、日本最大級。右はチャート。

左(2023年7月現在、工事中でシートがかけられている場合があります)は、石灰岩。佐野には、石灰岩が今も採掘されている場所があります。

山中に突然現れた巨大鉱山!日本の埋蔵量8割を誇る貴重な鉱石とは|ブラタモリ佐野

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佐野市葛生地区には、古生代ペルム紀に属する日本有数の良質な石灰石、そしてドロマイト鉱床が広く分布しています。

引用 足利大学 工学部 電気電子分野 上田研究室

吉澤石灰工業(株)の大叶鉱山三峰地区の採掘現場を訪ねます(一般非公開)。

石灰石 …(一般に)サンゴや貝殻、有孔虫などが元になってできた堆積岩。

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タモリさんは、石灰岩と似て非なるドロマイトという岩石に興味津々。

ドロマイト …石灰石に似ているが、マグネシウムを含んでいるのが特徴。海水中の貝殻やサンゴの死骸が長い年月をかけて堆積してできたもの。農業用肥料やセメント、ガラス、陶器などの原料として。また、サプリメントや健康食品にも使用。

ドロマイトは、鉄の品質を上げ、炉の寿命をのばす特別な鉱物です。

ブラタモリでは、秩父の石灰石も扱っています(ブラタモリ秩父)。

名物・佐野ラーメンも鉱石が生んだ!?|ブラタモリ佐野

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佐野の水道水は、すべて石灰石の層で濾過された、ミネラル豊富な地下水由来。スープをおいしくし、肉を柔らかくすると言われます。

ブラタモリは、涌釜神社(地図)の境内を訪ね、湧き水を試飲します。

佐野ラーメンには多加水麵が多く、水のおいしさが生きています。

佐野の隠れ家(2組限定)

栃木でブラタモリ内容
😎現地取材 佐野佐野には、三英傑から現代人まで「ほしいもの」がある?
😎現地取材 足利室町幕府に関係が深く、家康の軍師も輩出した足利とは?
😎現地取材 宇都宮(#112)宇都宮二荒山神社や宇都宮城址は江戸と直結? 穴場・カトリック松が峰教会や、大谷石採掘場も登場!
那須(#110)石が転がる荒地だった那須は、どのようにしてリゾートに? 酪農、温泉、レジャー施設、別荘の4つがキーワード。
😎現地取材 奥日光(#26)戦場ヶ原、竜頭の滝、中禅寺湖、華厳の滝と高度を落としてゆく、奥日光の地形をブラタモリが総なめ!
😎現地取材 日光(#25)石段のトリックや石鳥居の材質、参道のひし形の石、珍しい鉄製の南蛮鉄灯籠など、類を見ない視点で日光東照宮を攻略!

😎見逃した方はこちらから

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