ブラタモリ全放送回まとめ

【ブラタモリ宝塚】タモリ推奨の宝塚の歴史・地形・観光ルートまとめ #95

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NHK番組のブラタモリ宝塚編で、タモリさん推奨の宝塚の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ宝塚編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

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ブラタモリ 宝塚市へ

宝塚市は、大阪市の北西に位置する、宝塚歌劇団で知られる町です。宝塚には、年間で110万人以上の人が訪れます。宝塚は、大阪や神戸からは少し外れた場所。多くの人が住むようになったのは、わずか100年と少し前のことです。宝塚は、なぜ娯楽の殿堂に成長したのでしょうか?


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宝塚大劇場からスタート:ブラタモリ宝塚

ブラタモリは、宝塚駅から、川沿いのはなの道を歩き、宝塚大劇場前からスタートします。

  • アクセス:大阪駅から福知山線を利用。または梅田駅・三ノ宮駅から阪急線を利用。いずれも所要40分前後で、宝塚(阪急宝塚)駅下車。

タモリさんは、宝塚大劇場の中に入ります。お土産ショップを経て、気持ちが高まる大がかりなシャンデリアの下を通ると、大劇場のロビーです。赤いじゅうたんが敷かれた、中央階段が壮大です。

タモリさんは、タイミングを測って、中央階段の両側から降りてきた、星組のトップスター・紅ゆずるとトップ娘役・綺咲愛里に、なぜそこで歌うのか、なぜいつも大きな羽根を背負っているのかといった、ミュージカルに対する長年の疑問をぶつけます。

しかし、答えが戻る前に、以前に宝塚歌劇を実際に見た体験を踏まえ、タモリさんは、宝塚歌劇は、女性が見た男性の理想化であり、その舞台は日常を越えた空間に存在するので、不思議な設定もまたありなのだろうと自己解決します。2人は、宝塚歌劇のイメージを崩さないように、日常生活でも服装に気を配り、スカートは絶対に履かないなどを心がけていると話します。

ブラタモリは、劇場の客席へ進みます。客席は後方から入ります。2500の赤い椅子が並ぶ姿は壮観です。郊外の町に、これほどの大劇場ができたのは、なぜなのでしょうか?

宝塚の高台から見る地形:ブラタモリ宝塚

ブラタモリは、武庫川を、宝塚大劇場の反対側に渡り、高いビルから川向こうの宝塚駅・宝塚大劇場付近を見学します。左方には、2つの山地があり、間に武庫川が流れています。これは、扇状地です。宝塚駅や宝塚大劇場は、扇状地の扇の要にあるのです。暴れ川であったこの辺りに、人が住むようになったのは130年ほど前。その前は、人はどこに住んでいたのでしょう?

宝塚大劇場の方を見ると、宝塚大劇場の後方に小高い丘があります。小浜という住宅街は、江戸時代まで宝塚の中心でした。

ブラタモリは、宝塚の町の始まりを探るため、高台の集落・小浜を訪ねます(宝塚駅東へ2キロ、徒歩30分)。

町を歩くと、大堀川が流れています(地図:印)。堀川、すなわち人工の川です。タモリさんが、町を歩くとクランクのような、曲がった道が見つかります(地図:印)。

お城のような毫摂寺は、小浜の中心。寺内町という、戦国時代に生まれた珍しい形式の町は、堀やクランクのような道で独自に防衛を行なっていたのです。

各種の交通料金を定めた、駄賃定札の痕跡が見つかります(地図:印)。寺内町は、戦国時代が終わると、宿場町となっていたことが分かります。小浜宿と呼ばれ、3つの街道が交わる要所ため、大いに繁栄しました。宿場町には、芝居小屋があり、さらにもうひとつ、旅人を惹きつけるものがありました。それは何だったのでしょうか?

ブラタモリは、もとは造り酒屋だった古い民家(地図:印)を訪ねます。奥には井戸が残っています。タモリさんは、ブラタモリ尾道で鍛えた、お得意の井戸の水汲みに挑戦します。素晴らしい水が湧いていました。

お酒、芝居小屋、旅籠。ここに、娯楽の町、宝塚の原点があったのです。

宝塚温泉:ブラタモリ宝塚

ブラタモリは、宝塚駅や宝塚大劇場の対岸に戻り、宝塚温泉が見つかった場所を示す石碑を訪ねます(石碑の場所:ホテル若水付近の橋のたもと)。明治17年に宝塚温泉が見つかり、町の中心は、小浜から現在の宝塚駅の対岸に移ったのです。その後、2つの鉄道が開通し、最盛期には70近い旅館が軒を並べました。景気の低迷や阪神淡路大震災の影響から、現在はホテル若水とナチュールスパ宝塚のみが営業を続けています。

タモリさんは、洗い張り(=和服の洗濯)、しみ抜きの看板を見つけます(マンション・ロータリー宝塚南口付近)。

洗い張り(=和服の洗濯)、しみ抜きの看板は、写真の中央・下方です。

温泉、着物といえば、芸者さん。宝塚温泉には、芸者さんがたくさん活躍していたのです。紀乃国屋の店主によると、昔は250人も芸者がおり、7軒の同業者がいたとのこと。大規模な花街があったのです。

梅野町のマドンナと言われた芸者、浅秀さんの写真が残っています。18歳から仕事を始め、20年余り芸者を続けたとのことでした。お客さんは、大阪から商談のお客が多かったとのこと。

宝塚新温泉と宝塚大劇場:ブラタモリ宝塚

ブラタモリは、武庫川を渡り、再度宝塚大劇場に向かいます。宝塚大劇場の周辺には、武庫川の氾濫でできた低湿地が広がっており、使い道がなかった土地です。その土地に阪急東宝グループの創業者・小林一二は目をつけます。明治44年、宝塚新温泉の施設が作られたのです。家族で楽しめるよう、男女別大浴場や納涼台も備え、当時日本でも最も古い部類に入る室内プールも開業しました。

  • 宝塚新温泉の礎石は、写真の宝塚大劇場バウホール敷地内、駅よりにあります。

しかし、室内プールは日光を取り込めず、温度管理が難しく、経営がうまくいきませんでした。どのように起死回生が図られたのでしょうか?

プールから水を抜き、板を敷き客席にし、更衣室だった場所を舞台に大改造したのです。この場所は、宝塚歌劇団(当時の宝塚少女歌劇団)の公演スペースとして使用されました。


花のみち:ブラタモリ宝塚

宝塚駅と宝塚大劇場を結ぶ、ファンにおなじみの花のみちは、430mもある、ステージのような小高い道です。はなの道と呼ばれ、確かに春には桜も咲きますが、目立つのは松です。なぜなのでしょうか?

実は、武庫川の氾濫でできた自然堤防に、松を植えたのです。宝塚大劇場と不可分のはなの道も、宝塚の自然が生んだものだったのです。

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