【ブラタモリ富良野・美瑛編】歴史・地形・観光ルートまとめ #118

NHK番組のブラタモリ富良野・美瑛編で、タモリさん推奨の富良野・美瑛の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ富良野・美瑛編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

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北海道でブラタモリ内容
利尻島(#248)
稚内(#247)江戸時代の稚内は、海外へ開かれた窓だった? タモリさんが、旅のお題「稚内~“最北の町”で暮らすとは?~」を探ります。
苫小牧編(#221)ホッキ貝など、自然の恵みが豊かな苫小牧は、なぜ日本有数の工業都市に上りつめたのでしょうか? 
登別温泉編(#220)タモリさんが、屈指の「いい湯だな」と言われる秘密を探ります。
サロマ湖編(#168)タモリさんが、8億のホタテがいる湖の謎を解きます。
網走編(#167)網走刑務所がなぜ理想の刑務所なのか、なぜ網走に建てられたのかなどを扱います。
釧路湿原編(#141)湿原は時間が経てば必ず、森林化してします。山手線がすっぽり収まる日本最大の釧路湿原は、なぜ湿原のままなのでしょうか?
旭川編(#119) 熊も出る大原野から、北海道第2の都市に登りつめた旭川。背景に、屯田兵や、石狩川周辺の地質がありました。
富良野編(#118) 北海道の奥地にある丘陵に、開拓の波がたどり着くまでに30年。開拓途中には、十勝岳の噴火に襲われました。
室蘭編(#91) 天然の良港である室蘭は、火山のはたらきを背景に持ちます。名所・地球岬や砂鉄の存在から、謎を解きます。
洞爺湖編(#89)中島が美しい洞爺湖は、最大水深180m。しかし、水深1m前後の場所があるのはなぜなのでしょうか?
知床編(#55) ゴジラ岩や断崖絶壁で知られる知床半島を形づくったのは、火山。ヒグマだらけの海岸線を、船で見てゆきます。
小樽編(#23) 札幌を超える規模を誇った小樽は、戦後に一気に衰退。タモリさん「どうせ衰退するなら急速冷凍のほうが良い」。
札幌編(#22) 明治2年まで、人口が7人だった札幌。どのようにして200万都市に発展したのでしょうか。
函館編(#7,8) 青函トンネル、懐かしの青函連絡船を経て、函館の夜景が美しい理由を解き明かします。

美瑛の丘:ブラタモリ富良野・美瑛

ブラタモリは、旭川の南、美瑛(びえい)からスタート。

  • アクセス:美馬牛駅から5.4キロ。Unnamed Roadとある地点は、南の70号道路から北へ進むことができます。

富良野の北側にあたる美瑛(びえい)には、彩り豊かに波打つような地形がどこまでも広がっています。現在の富良野・美瑛には、年間540万人の観光客が訪れます。

ブラタモリ富良野・美瑛編のテーマは、富良野・美瑛の合言葉 残りモノには福がある、です。 パッチワーク状の景観で知られる美しい丘が、開拓の残りモノだったとは、どういうことでしょうか?

北海道の開拓開始から30年

北海道の開拓は、明治元年から始まりましたが、海から遠く河川からも辿れない、北海道の中心にある丘陵地・美瑛にその波がたどり着くまでに、30年の月日が経過しました。

美瑛の丘は傾斜地が多く、開拓は特に遅れました。しかし、美瑛の丘に畑を作ってみると、非常に豊かな土壌から、さまざまな野菜の収穫が可能だと分かりました。

じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、小麦など、カレーライスの材料としてイメージされる野菜のほか、とうもろこし、トマトなど、北海道で採れる野菜の大半が採れました。残りモノに福があったのです。

北海道の開拓については、ブラタモリ札幌編で触れられています。そのほかの北海道編もまとめておきます。

整然と並ぶ畑の理由

美瑛には、土地の分配の軸になるまっすぐな長い道がありませんでした。そのため、入植当時の居住者図を見ると、地形に関わらず、碁盤の目のように土地の所有を決めています。入植者は決められた四角形の区画内で、おのおのが選んだ作物を育て始めました。このことが、美瑛のパッチワークの畑地を生んだのです。

上富良野駅と開拓の原点:ブラタモリ富良野・美瑛

写真は中富良野町

美瑛の南にある富良野は、平らな土地が比較的多くありますが、山に囲まれ、美瑛よりもさらに開拓が遅れました。美瑛と同様富良野も原生林に包まれていました。何が開拓のきっかけだったでしょうか?

それは、タモリさんが注目した鉄道です。旭川から釧路へのルートの通り道になったのです。

上富良野駅の北1.3km(直線距離)の畑のなかには、富良野平原開拓発祥之地の目印があります。 この場所は、富良野のベストポジションでした。地図を見ると、平野の中心に川が流れている場所。米作りに成功しました! 「富める良い野」が富良野だったのです。

  • アクセス:上富良野駅から北へ線路沿いに徒歩約30分

富良野に起きた悲劇とは?

しかし、富良野には大きな悲劇が起こります。富良野からは十勝岳連邦が見えます。大正15年、開拓30年目に十勝岳の噴火があり、悲劇が起きたのです!

地層を見学するために掘られた深い穴に入ると、3つの地層が見られます。地面から80cm、真ん中にあたる地層が、悲劇に関係する地層です。硫黄の匂いがします。 三浦綾子の小説、『泥流地帯』に、大正15年の噴火による泥流の描写があります。

じっちゃーん! 山津波だあーっ! 早く山さ逃げれーっ!
二人の足ががくがくとふるえた
何いーっ!? 山津波ーっ ?
早く早く、早く逃げれーっ!(中略)

ドドーン
大音響を山にこだましながら、見る間に山津波は眼下に押し迫り、三人の姿を呑み込んだ。(中略)

丈余の泥流が、釜の中の湯のように沸り、踊り、狂い、山裾の木を根こそぎ抉る。バリバリと音を立てて、木々が次々に濁流の中に落ちこんでいく。樹皮も枝も剝がし取られた何百何千の木が、とんぼ返りを打って、上から流されてくる。
と、瞬時に泥流は二丈三丈とせり上って山合を埋め尽くす。家が流れる。馬が流れる。鶏が流れる。人が浮き沈む。

泥流は、樹木を巻き込み、恵みをもたらした川沿いに流れ、当初の開拓地は壊滅状態になりました。144名の犠牲者が生まれる大惨事でした。硫黄は植物にとって毒となるため、噴火による泥流の土地からは植物は発芽しません。酸性度を測ると、メーターが振り切れるほどです。 泥流の上に、付近の丘陵地からトロッコで土を運び、被せることでようやく農地の回復を図りました。

富良野:ブラタモリ富良野・美瑛

ブラタモリは、ラベンダー畑が広がる中富良野を訪ねます。

  • アクセス:JRラベンダー畑駅から徒歩6分。ファーム富田。

ラベンダーはフランスの花ですが、昭和30年代に香料を採取できる奨励作物として、栽培が始まりました。しかし、海外産の安価な香料が広がると、採算が取れずに縮小が続いていました。

中富良野町の最後のラベンダー畑

しかし、中富良野町の最後のラベンダー畑(現在の、ファーム富田内トラディーショナルラベンダー畑)が国鉄(現在のJR)のカレンダーに掲載(1976年)されたことで、一躍全国区になりました。観光客が多く訪れ、観光資源としてラベンダー畑は再生しました。 ラベンダー畑を守った富田さんは、7月以外の季節も楽しめように、さまざまな花を植え、人気の観光地となりました。

富良野に新たに作られたラベンダー畑は、遠くまで花が一望できるよう、斜面に作られました。もともとは、斜面ながら稲作が行われていた場所。その土は、かつて富良野を苦しめた、嫌われものでした。どういうことでしょうか?

大量に余っていた、十勝岳の噴火による泥流を利用していたのです!

青い池:ブラタモリ富良野・美瑛

ブラタモリは、美瑛の新しい人気スポットである青い池を訪ねます。

2012年、写真がパソコンの待ち受け画面に採用されたことから、急速に人気が出ました。十勝岳から流れこむ水の成分と光の相互作用で青い池に見えます。この青い池は、どのようにしてできたのでしょうか?

青い池のそばには川が流れており、砂防ダム(第4ダム)が見えます。十勝岳の噴火に備え、120もの砂防ダムが作られています。青い池は、砂防ダムに川の水がたまり、脇に流れ込んでできた、偶然の産物だったのです!

  • アクセス:美瑛駅からクルマで21分

北海道でブラタモリ!

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