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【京都・清水寺】ブラタモリ紹介の歴史・地形観光スポットまとめ…2017.4.8

2017/04/09

NHK番組のブラタモリで、京都清水寺の歴史や地形を踏まえた観光スポットが紹介されました。旅行の備忘録や教養のためにぜひご利用ください。

これまでに、ブラタモリが京都を扱った回は、以下に掲載しています。

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京都・清水寺とは

清水寺は、京都のなかでも高い人気を誇り、年間600万人が訪れます。「清水の舞台」が特に知られています。

215段

清水などにまゐりて、坂本のぼるほどに、柴焚く香(しばたくか)の、いみじうあはれなるこそ、をかしけれ。

(口語訳)

清水寺に参拝しようと、坂を登ってゆくと、柴の木を焚いた香が、ひどく情を誘うのに、心惹かれます。

241段 騒がしきもの

走り火。板屋の上にて、烏の、斎の生飯(ときのさば)食ふ。十八日に、清水に籠りあひたる。暗うなりて、まだ火もともさぬほどに、ほかより人が来あひたる。まいて、遠き所の人の国などより、家の主人(あるじ)の上りたる、いと騒がし。近きほどに火出で来ぬと言ふ。されど、燃えはつかざりけり。

(口語訳)

私が思う、騒々しいものをいくつか挙げてみます。

  • (炭櫃から舞う)火の粉。
  • 板の土台の上で、カラスが、お供え物のご飯をついばむ様子。
  • 先日、18日に、清水寺に仏事で宿泊したときのことです。暗くなり、そろそろ灯をともそうかという頃、田舎からやってきてた(騒がしい)人たちに出会いました。まして、遠方から主人と大勢でやってきた人は、とても騒々しいものです。
  • 近所で火事が起きたというとき。それも、さっと燃え尽きてしまわなかったときです。

※一部逐語訳でなく、意訳してあります。

平安時代、古典随想の代表作『枕草子』では、随所に清水寺が登場します。241段では、清水寺の縁日の騒々しい物見遊山に、清少納言はあきれていますが、ほかの段では、清水寺の参道の坂を登ってゆくと漂う、香の趣深さにも触れています。

ブラタモリ京都・清水寺のテーマは、どうして人はなぜ清水をめざす?です。

清水の舞台とは/ブラタモリ京都・清水寺

ブラタモリは、仁王門をくぐり、右手に新装なった三重塔を見つつ、本堂の清水の舞台を横切ります。本堂は撮影禁止のため、清水の舞台を間近に見ることができる奥の院からスタートします。

※奥の院のあとは、音羽の滝に向かいます。

清水寺への主なアクセス

  • 京都駅から、市バス206系統・東山通北大路バスターミナルゆき、または100系統清水寺・祇園・銀閣寺ゆきで「五条坂」下車。徒歩10分。
  • 京阪電鉄、「清水五条駅」から徒歩約25分。

清水の舞台がある本堂は、枕草子には記述がなく、西暦1100年頃の藤原成通のエピソードが初出です。清水の舞台で、貴族の藤原成道は、驚くべきことを披露しました。それは何だったのでしょうか?

清水の舞台の欄干(らんかん)を、西から東、次いで東から西へ、蹴鞠(けまり)をしながら渡ったというものです。藤原成通は、蹴鞠の名手でした。

古文のなかでの「蹴鞠」は、現代のサッカーに当てはめて考えると良く分かります。藤原成通は、現代でいう国家公務員でしたが、三浦知良級のサッカーの達人として有名でした。三浦知良なら、ビルとビルの間に板を敷き、サッカーボールを蹴りながら渡ったとしても、不思議ありません。ただし、あくまで伝説となります。

さて、清水寺の清水の舞台が、崖にせり出すように改築されたのは、参拝客があまりに多かったからです。

清水寺の本尊である観音は、40の腕にそれぞれ25の観音力を宿すとされます。観音は、あらゆる人の願いに応えるために、方々に耳を傾ける神様であり、広く人気がありました。33年に1度開帳(公開)があり、次回は2033年頃となります。

清水の舞台から飛び降りる、ということわざがありますが、実際に飛び降りたののは何人だったのでしょう?

信心深い人が多く挑戦しており、記録に残っているのは、およそ237人で、85%が助かっています。明治5年に禁止令が出されました。ビルの4階ほどの高さがあり、現在は植生と土質が変わっているため、危険度は増しています。清水の舞台から飛び降りることは、浮世絵の図柄にも取り上げられています。

音羽の滝と2つの崖/ブラタモリ京都・清水寺

清水寺の名前の由来になったのが、名水・音羽の滝です。清水寺はもとは滝行の場所だったのです。滝の水は、現在は3つに分かれていますが、どれも同じ水です。

ブラタモリは、本堂の裏で地層を見学します。ブラタモリ京都・嵐山で紹介された、プランクトン(放散虫)が堆積した、チャートの地層です。

リンク:【京都嵐山】ブラタモリ紹介の歴史・地形観光スポットまとめ…2016.4.30

京都盆地の西端にある嵐山と、東端にある清水寺で、なぜ地層が一致するのでしょうか?

もともと清水寺と嵐山の地層はつながっていたのです。

しかし、断層により中間が埋没し、現在はつながっていません。

かつて、本堂(清水の舞台)の南北に流れていた谷が、東西の方向にも崖を作りました。清水の舞台は、この崖を見下ろしています。

南北に渡る断層の崖と、谷(川)が削ってできた東西の崖の組み合わせが、清水寺の、崖の交差点とも言える特異な地形を形成しています。

産寧坂から尾根・轟川の痕跡へ/ブラタモリ京都・清水寺

ブラタモリは、谷(川)が削った尾根に敷かれた、参道を歩き、尾根の地形を確かめることとしました。

仁王門を背に参道(=松原通)を下り、産寧坂(三年坂)を渡り、尾根の北側に向かうルートです。

  1. 仁王門を背に、松原通りを西に歩きます。
  2. 眞福寺手前の道を左に曲がり、尾根から崖下に向かう階段を確認しました(地図:印)。
  3. 産寧坂(三年坂)は、京都でも最も名高い坂であると、解説がありました。
  4. 産寧坂(三年坂)を下りきった場所(地図:印)で、合流する東西の道は、谷(川)の跡であり、現在は暗渠(=埋められた水路)となっています。轟川です。
  5. 轟川の川筋に沿って東へ向かうと、一部水の流れが見られる場所(開渠)があります。地図にも水色で示されています。

産寧坂は、古地図によると尾根を縦断するように敷かれ、下り切ると、東西に流れていた轟川の痕跡の道に出会います。轟川の川筋を東へ歩くと、マンホールから水音が聞こえます。暗渠です。タモリさんが、さらに歩いて行くと、轟川の開渠を見ることができました。

轟川の痕跡をたどり八坂の塔へ/ブラタモリ京都・清水寺

ブラタモリが轟川の暗渠をたどると、八坂の塔にたどり着くことができました。上の地図で示したルートの終点手前に八坂の塔があり、終点にかつての轟川にかかっていた橋の痕跡があります。

写真:八坂の塔

音羽の滝に至る川や轟川が、東西に尾根を作り、そこに参道を作ることができたのも、多くの人が清水寺めざしやすかった背景です。

あの世とこの世の分かれ道/ブラタモリ京都・清水寺

ブラタモリは、古くからの参道である、鴨川・松原橋から清水寺方向を目指します。

鴨川は、かつて、三途の川に見立てられていたことがあります。途中右手に立地する、六波羅蜜寺の石碑には「幽霊」の文字が見られます。この参道は、此岸(しがん/この世)と彼岸(あの世)を結ぶという意味づけがあります。

六道珍皇寺には、閻魔(えんま)大王と小野篁(おののたかむら)の像があります。

小野篁は、六道珍皇寺に今も残る井戸から冥界へ行き来したと伝えられます。寺の中には、亡くなった人が向かう6つの世界である「六道」が描かれた、絵図があります(いずれも一般非公開)。

六道珍皇寺付近には、断層崖がありました。断層は、この世とあの世の境の象徴とされてきました。あの世の入り口であり、死者を弔う場所であることも、清水寺に多くの人が足を運んだ理由です。

清水の裏側には、観光客がほとんど気づかない、巨大な墓地があります。清水寺の裏側は、巨大な埋葬地だったのです。清水寺への参道は、亡くなった人を送る道でもあったのです。

【宿泊】清水寺周辺で、口コミ評価が高く比較的安い旅館は、禿庵(かむろあん)です。

(まとめ)【京都・清水寺】ブラタモリ紹介の歴史・地形観光スポット

テーマ:どうして人はなぜ清水をめざす?

  • 清水の舞台は、谷が作った自然の崖を上手く利用してた絶景である。
  • 垂直に交わる崖に奥の院があり、清水の舞台を外から眺めることもできる。
  • 清水寺の本尊は、観音。広く衆生を救うことから、広く信仰が集まった。
  • 音羽の滝は、古来修行の場だったが、現在はご利益がある滝として、人気を集めている。
  • 断層を東西に流れる2本の谷(川)が尾根を作り、参詣しやすい参道が配置された。
  • 参道には自然の坂が多く、産寧坂などの名所が誕生した。
  • 鴨川・松原橋からの古い参道には、此岸と彼岸の境界を示す六道珍皇寺がある。先祖を思う気持ちから、多くの参拝者を集めた。

清水寺をより詳しく知るための書籍。ブラタモリでは紹介されなかった、明治初期の清水寺の危機と荒廃が紹介されている。

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これまでに、ブラタモリが京都を扱った回は、以下に掲載しています。

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