ブラタモリ全放送回まとめ

【ブラタモリ伊勢神宮】タモリ推奨の伊勢神宮の歴史・地形・観光ルートまとめ #40 41

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NHK番組のブラタモリ沖縄・那覇編で、タモリさん推奨の那覇の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ那覇編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

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ブラタモリ伊勢神宮が最高視聴率18.6%を達成!

2016年6月4日に放送された、ブラタモリ伊勢神宮編(前編#40)が、番組過去最高となる18.6%の視聴率を達成したことが分かりました。現在放送中のブラタモリは、2015年4月に再開されたシリーズ。2016年に入り高視聴率が続いていますが、13%を超えたのは以下の回でした。


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伊勢神宮とは

  •  近鉄・JR線伊勢市駅
  • ● 伊勢神宮外宮
  •  伊勢神宮内宮

伊勢神宮外宮は、米や食べ物の神様です。参拝順は、外宮→内宮ですが、なかには時間がなく訪ねない人もいます。伊勢神宮外宮は、近鉄、JR線から伊勢市駅から徒歩5分。

伊勢神宮内宮は、日本人の総氏神である天照大御神を祀ります。旧来から庶民の信仰が厚かった神社ですが、皇祖神とされ明治以降は皇室も参拝しています。外宮よりバスで約10分。

※外宮から近鉄五十鈴川駅までバス6分、または徒歩30分。

名古屋から伊勢神宮の交通

名古屋から伊勢神宮(伊勢市駅など)への交通は、近鉄線とJR線があります。本数、車両の良さから、近鉄特急を利用する人が大半です。近鉄は戦後、2階建てのビスタカーを投入し国鉄(JR)に対し、常に圧倒的な差をつけてきました。国鉄(JR)側も、短絡線の伊勢線(現伊勢鉄道)の建設や、快速みえ号の運転で手を打ってきましたが、なお劣勢です。

動画では最後の方に鳥羽付近の映像が映り、さらに次世代ビスタカーとも言える、しまかぜ号の動画へのリンクも出ます。近鉄を利用する場合には、バス料金もセットになった伊勢神宮参拝切符が便利です。JRの場合、土日休日年末年始なら、青空フリーパスが便利です。

なぜ人は伊勢をめざすのか?:ブラタモリ伊勢神宮

現在,伊勢神宮には毎年800万人以上の人が訪れます。

平安末期から、貴族に布教を始めていた伊勢神宮は、鎌倉時代になると庶民にも布教を開始します。江戸期には農民にも信仰が広がり、とくに東日本では、一生に一度は伊勢詣(まいり)と言われるようになりました。江戸末期には日本人の6人に1人が参拝したとされます。

なぜ人は伊勢をめざすのでしょうか?

宇治橋

ブラタモリは宇治橋からスタートします。

伊勢神宮(内宮)への玄関口、五十鈴川にかかる宇治橋は、ほかの建物と同様20年に1度渡し替えます 。20年で約1億人(年に約400万人)が渡るため、20cmの橋板が8cm以上減ります。

五十鈴川で手を清めるのが古くからの習わしですが、五十鈴川の水をくみ上げた手水舎で代用することもできます。五十鈴川で手を清める場合は、橋を渡って右にしばらく歩くと川面に降りる階段があります。五十鈴川御手洗場と呼びます。ブラタモリでは、古式通り、五十鈴川御手洗場に立ち寄りました。境内でタモリさんは、皇學館大学の新入生と出会います。タモリさんは父親が皇学館大学を第1志望にし、家族に反対された逸話を披露します。

内宮の地形と御正殿:ブラタモリ伊勢神宮

ブラタモリ 伊勢神宮

出典:伊勢市観光協会

タモリさんが、五十鈴川御手洗場を過ぎて御正殿へ向かうと、ゆるやかな坂道になっていることがわかります。背後に川がある上り坂といえば「河岸段丘」です。御正殿が河岸段丘上に建てられたのは、地盤がしっかりし水害に強いためです。

伊勢神宮 正殿

出典:伊勢市観光協会

タモリさんは、正殿で参拝します。江戸時代の絵図を見ると、1つで良いはずの御正殿が隣り合わせに2つ書かれています。なぜなのでしょうか?

これは1300年続く式年遷宮と呼ばれ、御正殿その他の建て替えの行事を表わしています。神宝(しんぽう/かんだから)と呼ばれる宝物、調度品、装束類もすべて新調します。20年ごとに建て替えるのは、伊勢神宮がヒノキの木をそのまま使うなど、独自の神明造を採用していることも背景にあります。

後世に何らかの意図を伝える場合、通常は金属器など「壊れにくいもの」を選びます。しかし壊れにくいものもいつかは壊れ、判読が不明になってしまうものも。そのため最も確実に後世に意図を伝える媒体は、「壊れやすいもの」だという説があります。変形のリスクがありますが、伊勢神宮のように多数の人が20年おきに関わるようなら、メリットのほうが大きいでしょう。

※例えば、田中角栄元首相のイメージは、石像よりも演説内容の秀逸さや人柄を示すエピソードで伝承されている部分があります。

御稲御倉神

出典:伊勢市観光協会

式年遷宮には信仰を伝えるという狙い以外にも、20年おきに信仰と参拝の機運を盛り上げるという意図があります。次の「式年遷宮」は17年後の2033年となります。御正殿は見学することができないため、ブラタモリは似た建築である御稲御倉神(みしねのみくら)の構造を確認します(場所は上の地図の赤丸)。

茅ぶきの屋根をヒノキで支える神明造です。しかし、タモリさんが、外から見える「棟持ち柱」をよく見ると屋根との間にすき間があり直接屋根を支えていません。代わりに横板をつなぎ合わせた壁が屋根を支えています。この形状とすることで、屋根の重みにより壁のすきまをふさぐことができます。御稲御倉神は米を貯蔵するためすき間を埋めることが肝心だからです。 年数がたつと、徐々に屋根が重みで降りてきます。最後には飾りに過ぎなかった柱が屋根を支えることとなり、これが建て替え(遷宮)のサインとなります。この構造も20年ごとの遷宮の背景にあります。

式年遷宮にはあわせて1万本のヒノキを使用します。どのように運ぶのでしょうか?

これらは五十鈴川水運で運びます(御木曳)。なお、解体した材木は鳥居などに再利用します。

※境内の宇治橋鳥居(=入口の宇治橋手前)は旧御正殿のリサイクルです。

外宮・山田の繁栄と御師(おんし)の役割:ブラタモリ伊勢神宮

  •  近鉄・JR線伊勢市駅
  • ● 伊勢神宮外宮
  •  伊勢神宮内宮

外宮の門前町(山田)は、内宮の門前町(宇治)の8・4倍の規模を誇ります。なぜでしょうか?

その背景には江戸時代には、布教の役割に加え「旅行会社」のような役目を果たした神職・御師(おんし)の存在があります。外宮の門前町には、611軒もの御師の拠点がありました。出雲の御師は「おし」と呼び、伊勢では「おんし」と呼ばれます。

宮川と伊勢講:ブラタモリ伊勢神宮

  •  宮川橋(右岸が「中川原」)
  •  筋向(ずじかい)橋
  • ● 旧御師・丸岡宗大夫邸

ブラタモリは宮川を訪ねます。江戸時代の参拝者は、現在は宮川橋がある宮川を渡し船で渡りました(JR宮川駅または山田上口駅から徒歩12分程度の場所)。地図上の右岸は中川原と呼ばれ、ここで御師の使いの者が大きな看板を手に待ちかまえました。

伊勢神宮の粘り強い布教の成果から、江戸時代には東日本を中心に農民まで信仰が広がりました。全国に出向き不況の役割を担ったのが御師(おんし)です。各地には参拝のための互助会である「伊勢講」が誕生しました。多額の旅費は個人ではまかなえなかったため、協同で旅費を積み立て、くじ引きで当たった人が農閑期に伊勢へ参拝することができました。

また「おかげまいり」 と呼ばれる伊勢参拝のブームが60年サイクルで起きました。この時期には、商家の奉公人や子息が勝手に出かけてもお守りやお札を持ち帰ればおとがめなしとされ、旅費が不足しても道中で施しを受けられる慣習がありました。これらは「抜け参り」とも呼ばれ、一行は旅ができるのは神様のおかげという意味で「おかげでさ、するりとな、ぬけたとさ」と歌いながら伊勢神宮へ向かいました。この慣習は社会で弱い立場に立つ者の調整弁のような役割だったのかもしれません。

※例えて言えば、ブラック企業で理不尽な扱いを受ける若者が熊本へ旅立てば、道中カンパや寝床が得られ、復帰時もおとがめなしというような類のものです。おかげまいりは、奉公人、息子、妻などの立場の人がほとんどでした。

※おかげまいりは、1650年、1705年、1771年、1830年の各年。1830年には約500万人もが参拝したと考えられます。

参道・中川原を歩く:ブラタモリ伊勢神宮

御師の案内で参道(旧参道)を歩くと「筋向橋」(JR山田上口駅徒歩7分、近鉄宮町駅徒歩10分)につきます。この付近で大阪と江戸からの参道が合流し現在は暗渠(=地下水路)になっている川を渡ります。この場所が聖と俗の境とされていました。

外宮の門前町に611軒あった御師宅のうちただ1軒残るのが御師・丸岡宗大夫邸です。ブラタモリでは内部を取材しました(後編で放送。一般非公開)。御師としては決して大規模ではなかったとのことですが、最大50人が宿泊できる部屋数を備え、まかないのためにの4人が同時に使えるまな板も保存されています。

江戸時代の御師は布教の道具としての「お札」 、伊勢名物「きざみめみみ」(=めかぶを乾燥させたもの)、 伊勢暦(=カレンダーの元祖)をプレゼントし、庶民の心をつかんでいきました。

現在の伊勢名物の代表格は赤福。中部地方では、独自のCMソングでもおなじみです。ええじゃないかは、1867年に四国、近畿、東海地方などで発生した民衆が踊り狂う騒動で、伊勢へのおかげ参りと似た要素があると言われています。

ここからブラタモリ伊勢神宮 後編

まず前編の式年遷宮、御師のおさらいがありました。

  • 式年遷宮 … 全ての社殿を20年毎に隣接した土地に建て替えること。
  • 御師(おんし) … 全国を布教して回り、伊勢参拝の際には旅行会社(手配+現地案内)のような役割を果たす職業。外宮の門前町である「山田」に居を構えた。

参拝旅行の拠点 御師宅(丸岡宗大夫邸):ブラタモリ伊勢神宮

  •  宮川橋(江戸時代は渡し船。渡ると御師の使いが出迎える)
  •  筋向橋(俗から聖域に入る)
  • ● 旧御師・丸岡宗大夫邸

多数あった御師宅のうち、いまも残る丸岡宗大夫邸をタモリさんは訪ねます。

古い伊勢参拝の道中記(=参拝者の日記)が見つかりました。それによると17名の参拝者一行は、名勝・二見浦、御師宅(宿泊)、外宮(午前)、御神楽の奉納(午後)のスケジュールをこなしています。

高い費用を負担し御神楽(おかぐら=神を祀るための音楽と踊り)として倭舞(やまとまい=奈良春日大社や伊勢神宮特有の神楽)を奉納しています。最上ランクのお神楽は6時間ほどを要する壮大なものでした。途中に休憩があり、食事、酒、お菓子などが振る舞われます。御師宅での食事は非常に豪華なものでした。煮物、なます(=酢のもの)、刺身、汁物、貝、あわび、鯛などです。鯛は、当時普及していなかった醤油でなく煎り酒で食べます。タモリさんによると、鯛のような淡白な魚は本来は炒り酒の方が味が生きるといいます。

煎り酒とは

室町時代から江戸時代にかけて、主に刺身に添えられた調味料。作り方は酒(純米酒)に梅干し(糖分ゼロのもの)、カツオ節(または昆布)を加え、時間をかけてアルコール分と水分の一部を飛ばし濃く煮詰める。なお元来の煎り酒は酒と梅干だけ。

使い道は、刺身のほか、現在は、卵かけごはん、焼き魚、サラダ、カルパッチョなど(サラダ、カルパッチョはオリーブオイルなどと混ぜる)。その他野菜炒めの仕上げなど。

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道中記によると5泊6日の伊勢参拝の費用は60両。現在の600万円から1000万円にあたります。

資料によると一行はある日古市を訪ねています。古市を訪ねた日は、夫婦以外の若手は夕食の用意不要との記録があります。なぜなのでしょうか?

歓楽街 古市:ブラタモリ伊勢神宮

宇治山田駅の宇治は内宮の門前町、山田は外宮の門前町を指します。2つの門前町を結ぶ場所が古市です。遊郭が立ち並び、遊女1000人を抱える大歓楽街でした。男女ともに遊べるよう芝居小屋や料理旅館もありました。

当時の料理旅館のなかで「麻吉旅館」だけが現在も残っています。ブラタモリでは、内部の見学をしています。斜面の5階建てで、景色が非常に良い旅館です。

河崎 伊勢の食や暮らしを支えた商人の町:ブラタモリ伊勢神宮

  •  伊勢河崎商人館
  •  和具屋

ブラタモリ伊勢神宮後編では、外宮(=近鉄、JR線伊勢市駅から徒歩5分)のすぐ北にある旧御師・丸岡宗大夫邸、次いで外宮の少し離れた東にあるかつての歓楽街・古市を訪ねました。続いてやや離れた北東にある商人の町・河崎へ向かいます。

河崎

出典:伊勢市観光協会

河崎は全国各地から伊勢に至る、海運と陸運の中継地点です。タモリさんは、上の写真の伊勢河崎商人館付近の川辺から、川から引き込んだトロッコレールが残っている和具屋付近の古い町並みを歩きました。

ブラタモリは、地元の富田さん宅を訪ねます。薪炭(しんたん=燃料)、甘藷(さつまいも)、日用雑貨などを扱う雑貨商店を営んでいました。富田さん宅では細長い紙の束が見つかります。これは山田羽書と呼ばれる当時の地域通貨で金銀への換金が可能でした。

山田羽書には、各御師の名前が記されています。信仰と御師の経済力が貨幣の信用を裏書きする形です。高い通用力を背景に、地域通貨制度は桑名、名古屋にも波及しました。地域通貨の原点ともいえる存在です。

伊勢 河崎

和具屋に残る水運の名残であるトロッコレール(新春SPではカット)

出典:伊勢市観光協会

江戸時代に繁栄した外宮の周辺のユニークなスポットを紹介したブラタモリは、続いて近代や戦後の伊勢神宮に焦点を当てます。

近代の伊勢神宮を支えた御幸道路:ブラタモリ伊勢神宮

明治4年に伊勢参拝の要だった御師制度は、廃止されてしまいます(世襲一族が、神道に利権を持つことを明治政府が嫌ったため)。しかしその後明治43年の明治天皇参拝を機に「御幸(みゆき)道路」(現国道23号、大正期には国道1号の経歴)が整備され、伊勢参拝が再度活性化しました。

天皇が各地にお出かけになることを、古代から行幸・御幸(=読み方は「みゆき」ほか様々)と呼びます。

※御幸は天皇以外に用いる場合もあります。

近代の伊勢神宮を支えた宇治山田駅:ブラタモリ伊勢神宮

宇治山田駅

出典:ウィキペディア

ブラタモリは、宇治山田駅に移動します。昭和6年、近鉄は特急の高速化にあわせ、社運を賭け、洋風建築の宇治山田駅舎を完成させました。外観は白い、テラコッタと呼ばれる陶器のタイルを利用しています。内装にもこだわりがあり、駅だけを見学に来る人も多数ありました。国の登録有形文化財。

宇治山田駅

宇治山田駅の階上にあるホームの横に、バスのりばの跡があります。かつては鳥羽行や賢島行の観光バスが、坂を上がり横づけし、近鉄特急からすぐに乗り換えられる便宜が図られていました。バスは地上から上がってきたあと専用の転車台で折り返していました。現在でも転車台はそのまま残されています。バスの転車台は珍しいものです。

宇治山田駅ホーム端から見えるの架線の鉄柱をよく観察すると、左側にも「八角形」の接続部品があります。これは左方向(伊勢神宮内宮)に線路の増設を予定していたことを示唆します(新春SPではカット)。

賑わいを取り戻したおはらい町:ブラタモリ伊勢神宮

国道23号伊勢街道(旧御幸道路)と並行し、伊勢神宮内宮への入口・宇治橋につながる通りがおはらい町です。バスによる参拝客が素通りするようになり、30~40年前に客足が遠のいた時期がありました。日本一滞在時間が短い観光地と揶揄されることもありました。

しかし61回目の式年遷宮を期に、「まちなみ保全事業」として江戸時代の建築様式に整えたところ、20万人だった観光客が500万人にV字回復した歴史があります。


まとめ 伊勢神宮が活気を維持する秘密

伊勢神宮が長く隆盛(りゅうせい)を維持している秘密の一つに「式年遷宮」があります。「御師」は、式年遷宮の年には特に多くの参拝客を案内し、どの時代にも式年遷宮に向けて大きな工事や工夫が施されてきました。

【ブラタモリ伊勢神宮】タモリ推奨の伊勢神宮の歴史・地形・観光ルートまとめ #40 41

  1. なぜ人は伊勢をめざすのか? 宇治橋
  2. 内宮の地形と御正殿
  3. 外宮・山田の繁栄と御師(おんし)の役割
  4. 宮川と伊勢講
  5. 参道・中川原を歩く
  6. 参拝旅行の拠点 御師宅(丸岡宗大夫邸)
  7. 歓楽街 古市
  8. 河崎 伊勢の食や暮らしを支えた商人の町
  9. 近代の伊勢神宮を支えた御幸道路
  10. 近代の伊勢神宮を支えた宇治山田駅
  11. 賑わいを取り戻したおはらい町

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