ブラタモリ全放送回まとめ

【ブラタモリ伊豆・天城越え】歴史・地形・観光ルートまとめ #104

2018/05/20


NHK番組のブラタモリ伊豆(天城越え)編で、タモリさん推奨の伊豆の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ伊豆(天城越え)編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

静岡でブラタモリ

 


天城越え:ブラタモリ伊豆

天城越えとは、三島から伊豆半島を縦断し、下田に至る下田街道の一部。より詳細に言えば、湯ヶ島温泉から桜の名所河津に至るルートです。天城越えは、下田街道の最大の難所でしたが、現在はドライブルートが整備され人気のあるルートです。

なお、旧天城トンネルは、途中分岐する旧道沿いにあります。クルマは走行できますが、運転初心者には向きません。

ブラタモリは、月ヶ瀬梅園からスタートします(シーズンのみ開園)。伊豆半島を横断する天城山(1406mの万三郎岳などの連山)を望みます。ブラタモリのテーマは、どうして越えたい天城越え、です。

タモリさんは、石川さゆりの『天城越え』の歌詞を確認します。「何があってももういいの  くらくら燃える火をくぐり……あなたと越えたい、天城越え」

ブラタモリは、天城山(連山)の写真を見て、天城越えの峠の場所を確認します。つづら折りの道を進み、ほかよりは低い700mの谷を越える形です。


湯ヶ島温泉:ブラタモリ伊豆・天城越え

写真:楽天トラベル掲載 18枚の中の1枚

ブラタモリは、湯ヶ島温泉に移動します。天城山から沼津に抜ける、狩野川が流れています。富士山へ向かい北へ流れる川は珍しく、貴重な存在です。

湯ヶ島温泉の旅館・白壁荘では、1988年に旅館を改装したさいに、地中から巨大な石が出てきました。ブラタモリは、それをくり抜いて作った名物露天風呂を訪ねます。重さは53トンもあります。ハンマーで軽く叩くと、露天風呂の岩は硬く、溶岩性の安山岩だと分かります。天城山は、火山だったのです。

※立ち寄り湯や見学は行っていません。

旅館の敷地に見られる岩石が丸いことから、溶岩が川の流れを助けに転がってきたことが分かります。天城山が、いかに高くて激しい噴火をもたらしたことが想像できます。

ブラタモリは、川沿いにある白壁荘の別館の地下へ移動します。別館の地下の女湯の壁は、周囲の岩をそのまま使っています。タモリさんが岩を叩いてみると、名物露天風呂の岩よりは柔らかさがあります。堆積性の凝灰岩です。海底火山の存在が、疑われます。

出典:伊豆半島ジオパーク - 日本ジオパーク

天城山を含む伊豆半島の南部のベースの地形は海底火山。天城山は、海底火山の地形に、さらに地上の天城山が重なった地形です。伊豆半島は、本州のなかでは唯一フィリピン海プレートの上にあります。2000万年前、800キロ離れた場所にあった海底火山が原点です。フィリピン海プレートに乗って運ばれ地上に出て、さらに地上で天城山の噴火があり、1400mもの標高に達しました。

湯ヶ島温泉には川端康成も滞在し、その後、体験をもとに天城越えを舞台にした『伊豆の踊り子』も書かれています。

また、ブラタモリが取材した旅館白壁荘は、『天城越え』が作詞作曲された旅館です。使われた部屋は現在も残っており、直筆の歌詞も残されています。

ブラタモリは、江戸時代、伊豆の代官によって作られた、天城山の地形図を確認します(豆州天城山見取絵図。旅館所蔵でなく、番組側で複製したもの)。絵図には、いくつもの紙を折り込んだ仕掛けがあり、立体地図のようになっています。なぜ、立体地図が作られたのでしょうか?

天城山からは、薪や炭が多く生産されます。立体地図は、江戸幕府の関係者が、地形を把握しやすいように作られたのです。年間降水量が4000mmを越える天城山では、質の良い木材が育ちます。天城山に人が入ってきた理由が、この木材です。天城の語源は、雨木だったです(諸説あり)。

【後半/2週目】浄蓮の滝:ブラタモリ伊豆・天城越え

ブラタモリは、湯ヶ島温泉の南にある、浄蓮の滝を訪ねます。

  • アクセス:修善寺駅からバスで35分(河津駅からバスで50分)

落差25m、幅7mの滝が名物ですが、ブラタモリは岩盤に注目します。タモリさんは、柱状節理を発見します。マグマが冷えるさいに、多数の柱のような状態となることです。

※ここから後半(2日目の放送)です。

浄蓮の滝周辺は『天城越え』が大ヒットするまでは観光地ではなく、山がちな、わさびの生産地でした。江戸時代に、伊豆わさびの生産の原点となった場所です。わさびは、稲作や耕作に不向きな伊豆の貴重な資金源となりました。現在でも伊豆では、全国の4割のわさびを生産しています。

ブラタモリは、わさび田を見学します(写真は、伊豆湯ヶ島のわさび田です)。

  • アクセス:浄蓮の滝、すぐ北

よく成長して大根のようになったわさびに、タモリさんは驚きます。味や風味は変わらないものの、扱いにくさから飲食店への出荷はできません。わさびは、もともとは自然に生えていたものですが、近年は鹿に食べられてしまい、天然ものはあまり見られません。

わさびは水を選びます。わさびの栽培には、浄蓮の滝の湧き水が望ましいのですが、どういうことでしょうか?

湧き水は、温度が一定であることが特徴。水温12~13度を求める繊細なわさびには、温度変化がある川の水では難しいのです。天城の山々には、水が湧く、溶岩の端や、がけが崩れた場所が点在しています。人々が、険しい谷間に多い、その場所を求めて細かな道ができたのです。

ブラタモリでは、浄蓮の滝で採れたわさびを擦ります。農家によって異なりますが、番組では砂糖、しょうゆ、かつお節を加え、白いご飯にかけて試食します。タモリさんが味見すると、天城のわさびは、ほんの少しでよく効くことが分かります。


天城越え:ブラタモリ伊豆・天城越え

ブラタモリで紹介された場所

  • 地図右上(氷室跡地周辺)… つづら折り、崩れた石を観察
  • 天城山隧道(旧天城トンネル)… トンネル内、南の出口、北の出口を観察

※道幅が狭い旧道となります。

ブラタモリは、下田街道の旧道へ入ります。伊豆の踊り子も通った道です。天城越えの歌詞にあるような九十九(つづら)折りが見られます。

旧道には、落石よけや落石注意のカンバンが多く見られます。タモリさんが、石を観察すると、緑がかっていることに気づきます。これは、上述の旅館の女湯で見た、海底火山の岩石です。周辺は、天城山をかさ上げしている、地上に出た海底火山なのです(上の火山on下の火山の、下の火山にあたる部分)。地質が古く、火山の熱で変質していることから、非常にもろく、落石や崩落が頻発てきました。そのため、何度も天城越えのルートは付け替えられています。

下田に領事館を構えていたタウンゼント・ハリス(のちに日米修好通商条約を締結)は、江戸へ出向くことを再三申請していましたが却下されています。外圧が強まり、幕府は江戸への訪問を許可しますが、天城越えのルートを指示され、大変な苦労をしています。

現在の旧道のルートは、明治時代に整えられたものです。

ブラタモリは、旧天城トンネルを訪ねます。旧天城トンネルは、明治38年に完成した、長さ445.5mの現存最長の石造トンネルです。このトンネルの開通が、天城越えの困難を解消しました。バスが通るようになり、1日がかりの天城越えが、3時間で済むようになりました。

トンネルのアーチ型の頂点(最上部)にある要石に、両側の曲面の力がぶつかり合う構造に設計されています。南北からほぼ手掘りで作られましたが、合流点はピタリと合っています。

トンネルの内の石は、海底火山に由来する凝灰岩が使われています。個数は3万5千個以上。詳しい資料は残っていませんが、周辺から調達されたと考えられます。冬は、3mものつららができることがあります。

トンネルの南側(河津側)の入口には欠けた石が目立ちます。一方、北側(湯ヶ島温泉側)の入口に戻ると欠けていません。黒っぽい岩は、お城の石垣にも使われる玄武岩です。玄武岩は、周辺で産出しないため、わざわざ運んで来たのです。なぜなのでしょうか?

南伊豆の側からの視点では、北側が、家の玄関に当たります。旧天城トンネルに、南伊豆の人々の期待が集まった結果だと考えられます。南伊豆のお年寄りに状況を聞くと、南伊豆では、江戸や京へ行きたいという思いが強く、天城越えは悲願でした。天城越えは、現在の観光における北から南へのイメージより、南伊豆から日本の中心へというイメージが強かったのです。

1978年の伊豆大島近海地震で、旧天城トンネルの南、七滝温泉付近の天城越えの道は崩落してしまいました。新しく付け替えられた道が、観光名所としても知られる河津七滝ループ橋です。山肌に沿った崩れやすい道を諦め、空中を回転することで、一気に高低差を下るように作られました。

河津の桜

ブラタモリでは紹介されませんでしたが、天城越えの南端の河津は、桜の名所として知られています。

静岡でブラタモリ

 

 

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