ブラタモリのまとめ

ブラタモリまとめ 京都伏見の歴史・地形観光スポット…2016.5.07

2016/05/09

NHK番組の「ブラタモリ」で京都・伏見の歴史や地形を踏まえた穴場的観光スポットが紹介されました。旅行の備忘録としてもご利用ください。

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京都・伏見とは

伏見は京都駅の南東に位置します。東山連峰の一番南に位置します。

伏見稲荷神社

伏見稲荷大社の千本鳥居が有名です。外国人が選ぶ観光地第1位に選ばれたことも。

お断り トラベルじゃーなは、ブラタモリ関連記事にのみやむを得ずキュレーションの手法を導入しています。現地取材を行っていないことによるミス等があればご指摘いただけると幸甚です。

伏見城

伏見城

✔ 伏見城は江戸時代に徳川幕府により壊されましたが、遊園地(伏見桃山城キャッスルランド)のシンボルとして再建されました。遊園地閉園して13年たち普段は誰も立ち入ることはありません。タモリさん一行が暗い階段を登り屋上から景色を見ると、京都の中心部や京都盆地全体、さらに奈良までを見渡すことができます。

✔ 現在の本丸は伏見城御花畑山荘跡に再建されています。本来の本丸は、現在の明治天皇陵の場所にありました。

✔ 現在のテニスコート付近は巨大な堀の底にあります。堀は最大で幅150m、深さ15mとされています。自然の地形を利用することなく、人力で作った堀は秀吉が天下人としての権勢を誇ったことを示しています。

豊臣秀吉と伏見城

✔ 番組のテーマは「伏見は日本の首都だった?」安土桃山時代(1575年~1603年)の「桃山」は秀吉の時代を表し、桃山は伏見のことを指しています。

✔ 1594年に豊臣秀吉は伏見城(指月伏見城)に入城します。しかし地震で倒壊したため新たな伏見城(木幡山伏見城)が建設されます。豊臣秀吉が二つの伏見城を居城としたのは4年間に留まり1598年に死去します。

斜面に造られた伏見城の城下町

✔ 豊臣秀吉が伏見城を建設する前、伏見は低湿地と斜面からなる土地でした。そのため城下町は斜面に造成されました。

✔ 丹波橋駅西の地点から駅を見ると登り坂となっています。

✔ 斜面を横切る直線の道(地図■■■)が現在でも残っています。山の斜面を横に貫いたためうねりが多く発生しています。

地点から丹波橋駅方向を眺めた風景です、安土桃山時代以前には、後方の低湿地から斜面が続いていました。

✔ 桃山高校の北には「桃11」と書かれた電柱標識があります。この地区が桃山と呼ばれていたことが分かります。

✔ 桃山高校の北西(川勝書店付近)には斜面に造成された広い敷地があります。大名屋敷の痕跡です。付近には「桃山町正宗」など大名にちなんだ住所が名づけられています。

住所に残る大名屋敷の痕跡

・桃山町金森出雲
・桃山長岡越中東町
・桃山羽柴長吉西町
・桃山町永井久太郎
・桃山筒井伊賀西町
・桃山井伊掃部東町
・桃山町正宗
・桃山福島太夫南町
・桃山町島津
・桃山町板倉周防
・桃山町松平筑前
・桃山水野左近東町
・桃山町本多上野
・桃山町三河
・桃山町伊賀
・桃山町丹後

伏見城下町のようかん

✔ 伏見は練りようかんの発祥の地です(江戸時代)。寒天とあんこを丁寧に混ぜて、手作業で切って作ります。秀吉が絶賛したのは「蒸しようかん」でしたが、日持ちがしないため練りようかんが開発されました(総本家駿河屋)。

✔ 周辺では、魔よけとして道教の神様である鍾馗(しょうき)を飾る家が目につきます。江戸時代末期からの近畿地方の風習で、京都にはその名残があります。

✔ 宇治川の南には周囲より5m高くなっている部分があります。かつては4キロの長さを持っていました。これは昭和初期まで存在した巨椋池を渡る太閤堤の跡です(ブラタモリ取材班が歩いたのはヒカリハイツ北側一帯です)。

✔ 太閤堤を渡すことで奈良からの物流が伏見を通るようにし、伏見大阪間の水運と相まって伏見の活性化を図りました。

✔ 秀吉の最初の城「指月伏見城」は、その存在が謎に包まれていましたが、2015年に金箔瓦が発掘されました。出土があったのは奈良線桃山駅南側の「近畿財務局桃山合同宿舎」第15棟付近です。南に宇治川と巨椋池を望む絶景であったと考えられます(撮影場所に立ち入りはできません)。

酒どころ伏見と伏見神社の関係は?

✔ 京都伏見は酒どころとして知られます。知名度が高いものだけでも、黄桜、月桂冠、松竹梅があります(番組では扱っていません)。

✔ 酒どころには必ず良い水があります。伏見は江戸時代には「伏水」と書かれたこともある名水の郷です。

伏見の地形

出典:伏見の地形・地層

✔ 伏見の水の秘密は桃山断層(=地図ピンク色)です。京都盆地の地表の多くは風化した砂利による地層に覆われているため保水能力が低く木々も育ちません。

✔ しかし伏見稲荷大社付近では、地下の伏流水が断層にぶつかり地上にしみ出すため湧き水や森を形成しています。藤森神社、御香宮神社も同様です。

京の西側が寂れたのは水が原因

✔ 平安京は本来真四角の形に計画されましたが、表土が粘土質のため徐々に井戸を掘っても水が出ない西側の人口は減っていきました(番組では扱っていません)。

✔ 「ブラタモリ京都嵐山」の回に登場した大陸出身の秦氏は、灌漑の技術を嵐山に持ち込んだことでも知られています。

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✔ 16世紀に入京した豊臣秀吉は、応仁の乱で荒廃した京都をせめてここまでは整備しようと持ち前の土木技術を駆使し「御土居」を作らせました。しかしやや拡大気味の京を示した御土居も京都の東側に偏っています。

✔ 熊本城を建てた加藤清正は、土木の神様と呼ばれますが、豊臣秀吉の家臣にあたります。

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