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ブラタモリのまとめ

【京都・祇園】ブラタモリ紹介の歴史・地形観光スポットまとめ…2017.4.15

2017/04/16

NHK番組のブラタモリで、京都・祇園の歴史や地形を踏まえた観光スポットが紹介されました。旅行の備忘録や教養のためにぜひご利用ください。

これまでに、ブラタモリが京都を扱った回は、以下に掲載しています。

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京都・祇園とは

ブラタモリは、祇園の中心、花見小路通りからスタートします。

京都の祇園は、世界中の観光客が集まる人気の場所。舞妓さんが行き交う光景で、おなじみです。鴨川と八坂神社にはさまれた、日本一の花街(かがい)となります。

ブラタモリ京都・祇園 前半のルート

  1. 京阪祇園四条駅から、建仁寺付近の花見小路通りへ(地図:印)。
  2. 花見小路を上りお茶屋を見学(地図:印)
  3. 仕出し屋を見学(地図:印)
  4. 一力亭を見学(地図:印)
  5. 八坂神社の西楼門を見学(地図:●印)
  6. 八坂神社の石碑を見学(地図:印)

タモリさんは、祇園の中心、花見小路通りにやってきます。ブラタモリのテーマは、なぜ華やかな祇園が誕生したのか、です。

タモリさんは、舞妓さん、芸妓さんとともに、花見小路通りを歩きます。お茶屋には、「お茶屋」の許可証が掲げられます。(地図:印)

  • 舞妓 … 原則20歳前後まで、祇園独自の表現。子どもに模した着物。特徴は結い上げた自毛と、華やかなかんざし
  • 芸妓 … ベテラン。京都以外では「芸者」と呼ぶ。かつらを使い、かんざしは少なめ

若い舞妓さんは、髪を1度結い上げると、1週間は洗髪できません。タモリさんは、「俺も1週間洗わないよ」と応答しました。タモリさんは、ぬるま湯洗顔の愛好者として知られています。

写真:一般的なお茶屋(ブラタモリ取材先とは異なります)

タモリさんは、生まれて初めてお茶屋に入ります。お座敷があり、酒や料理とともに、舞妓さん、芸妓さんの踊りを楽しむ場所です。しかし、舞妓・芸妓は、お茶屋に居場所があるわけではないのです。

ブラタモリは、お茶屋を出て、舞妓さん、芸妓さんがふだん居る場所を訪ねます。置屋と呼ばれます。

置屋のあと、ブラタモリは別の重要な場所を訪ねます。自転車が2台置いてあります(地図:印)。どんな場所なのでしょうか?

ここは、料理を作る仕出し屋です。

祇園の仕組みは、分業によって成り立っているのです。お茶屋ごとに、舞妓・芸妓を置き、料理を振る舞えば、制約ができます。制約なく、個々の好みに合わせた、きめ細かな対応が可能になります。

また、祇園は、一見さんお断りで知られますが、なぜなのでしょうか?

一見さんお断りは、お客さんの個性を把握し、きめ細かいサービスを提供するためだったのです。

現在の祇園と四条通り/ブラタモリ京都・祇園

花見小路通りは、祇園を代表する、石畳にお茶屋が並ぶメインストリートです。しかし、ここが祇園の中心になったのは、明治時代のこと。祇園は、もともとどこにあったのでしょうか?

いまの祇園は、もともとは、建仁寺(写真)の敷地内だった場所にあります。廃仏棄釈により収容された土地を、払い下げられ、誕生したのが現在の花街です。

  • 一力亭を見学(地図:印)
  • 八坂神社の西楼門を見学(地図:●印)
  • 八坂神社の石碑を見学(地図:印)

ブラタモリは、建仁寺(=地図左下)のかつての境内の外側に出てみます。一力の看板があります。一力は、明治以前から300年以上続くお茶屋で、歌舞伎・仮名手本忠臣蔵にも登場します。かつての祇園の中心は、現在の花街の北側、四条通り沿いにあったのです。

一力の南西の花見小路には、石畳のつながり方が不自然な場所があります(写真の白の車の前輪後ろから、右に伸びるライン)。建仁寺のかつての敷地と、その外側の境界です。

現在の一力の玄関は、四条通り側(敷地北)を閉め、花見小路通り(敷地西)に向いています。

八坂神社へ/ブラタモリ京都・祇園

ブラタモリは、八坂神社に移動します。八坂神社は、段差の上の高い場所にあります。どのような地形なのでしょうか?

八坂神社は、東山(山地)と京都盆地の境の断層崖です。聖なる八坂神社と、俗なる四条通りの際が、この断層崖であるとも言えます。

八坂神社の西楼門を背に、四条通りを見ると、現在は通常の飲食店などが並んでいます。なぜ、花街は、八坂神社の参道である、絶好の場所から、南側(花見小路通り周辺、かつての建仁寺の敷地内)へ移されたのでしょうか?

「大正ニ年十一月、西門を改築なす」と八坂神社内の石碑(地図:印)にあります。西楼門は、東へ6m、北へ3メートル移動していたのです。1912年、京都市電が開通した際、道路が広がり、道の中央からずれたため、移築した経緯があります。

そして、市電が通ることによって、子供、女性からお年寄りまで四条通りを利用するようになり、お茶屋の営業は禁止されたのです。

八坂神社境内に入ると、タモリさんは、祇園社と刻まれた石碑を発見します。江戸時代までは、八坂神社は祇園社と呼ばれ、お寺と神社が合同していたのです。明治の廃仏棄釈により、仏教色が濃い、祇園の名前を捨てることとなったのです。

廃仏棄釈と清水寺

廃仏棄釈は、明治政府のもと、神仏習合(例:神社とお寺の混在)を否定し、神道中心の新体制に作り変えようとした試みです。ブラタモリで扱われた、清水寺は、現在でも大規模な寺院ですが、以前はもっと多くの社殿を擁していました。

【京都・清水寺】ブラタモリ紹介の歴史・地形観光スポットまとめ…2017.4.8

また、ブラタモリ・川越編で取り上げられた、喜多院(徳川家康の死後、改葬の際に立ち寄った歴史的に重要な寺院)は、かつては仙波東照宮(神社)と一体化していました。

【川越】ブラタモリ紹介の歴史・地形観光スポットまとめ…2015.6.20

ブラタモリは、祇園社時代から残る、本殿に参拝します。神殿と拝殿を合体させ独自の建築は、祇園造と呼ばれます。タモリさんが、八坂神社で古い絵を見ると、赤いエプロンの女性が、豆腐を切るお店が描かれています。三味線の音に合わせ、豆腐を切るパフォーマンスは、大変人気があったようです。

祇園の名の由来は、かつては広大な敷地を持ち、門前に花街を形成した祇園社から来ていたのです。

※宿泊の場合、東山の断層の上から、祇園を望むりょうぜんはおすすめです。

タモリさんは、八坂神社境内の懐石料理店中村楼で、江戸時代からの名物料理、祇園豆腐を味わいます。香ばしい味噌の風味に、タモリさんは大満足でした。もともとは、料理店に、様々な要素を付け加え、発展した形がお茶屋だったのです。

江戸時代の祇園/ブラタモリ京都・祇園

大正元年の市電の開通で、祇園が、四条通から南に移転したことがわかりました。では、もっと古い、江戸時代の祇園は、どこにあったのでしょう?

  • 江戸時代の祇園 … ?
  • 明治時代の祇園 … 四条通り
  • 大正以降の祇園 … 建仁寺周辺の花見小路通り沿い

ブラタモリは鴨川に移動します(京阪・祇園四条駅周辺)。鴨川は、川幅が100m程度です。

しかし、古地図を見ると、西は現在の河原町通りまで、河原が広がっていたのです。

1670年に、一等地である周辺の土地を生かすため、寛文新堤が作られ、鴨川の川幅は狭くなります。町は繁栄し、京阪・祇園四条駅付近(=写真では右側)や四条通りの北側に、新たな花街が広がったのです。

  • 江戸時代の祇園 … 四条通り
  • 江戸時代(寛文新堤以降)~明治時代の祇園 … 現在の京阪・祇園四条駅付近の鴨川沿いが中心。さらに、四条通りの北側一帯、四条通り。
  • 大正(市電開通)以降の祇園 … 建仁寺周辺の花見小路通り沿い

ブラタモリは、四条通りの北側に移動します(四条通りから、花見小路通りの1本西、細い道を上ります)。

飲み屋さんが広がる、ギザギザの道路付近の町並みは、花街が栄えていた場所です。いまは、庶民的な飲み屋街になっています。なぜ、ギザギザの町並みができたのでしょう?

ギザギザの町並みは、縄手通、大名屋敷を中心とした町の境界の土地に、お茶屋の家屋を詰め込んだ結果、区画がずれてしまったことによります。

以上、ブラタモリ祇園編が紹介した歴史・地形観光スポットをまとめました。

これまでに、ブラタモリが京都を扱った回は、以下に掲載しています。

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