ブラタモリ全放送回まとめ

【ブラタモリ鹿児島】タモリ推奨の鹿児島の歴史・地形・観光ルートまとめ #98 99

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NHK番組のブラタモリ鹿児島編で、タモリさん推奨の鹿児島の歴史・地形を踏まえた観光ルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ鹿児島編のルートを、アクセスなどの情報とともに紹介します。

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鹿児島と明治維新

11世紀末、天皇家(院)のSPとして雇われた「北面の武士」に始まる武士階層が力をつけ、武家政権として天下を治めたのが鎌倉幕府。そのもう少し前の平清盛の政権から、明治維新まで約700年も武士の時代が続きました。

長く続いた江戸幕府を揺るがしたのは、薩摩・長州など地方の新しい力でしたが、その背後には資本主義により力をつけた、日本市場をにらむ海外諸国の戦略や、庶民の疲弊がありました。島津氏を藩主とする薩摩藩(=鹿児島藩)は、西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀らを輩出し、明治維新を成功させ、資本主義の時代を拓きました。

  • 西郷隆盛 … 犬猿だった長州藩と薩長同盟を結び、江戸城の無血開城に成功。
  • 大久保利通 … 明治政府の初代内務卿として、学制、地租改正、徴兵令など。
  • 小松帯刀 … 薩摩藩の家老として、西郷、大久保をバックアップ。

ブラタモリは、鹿児島の桜島が見えるドルフィンポート付近からスタートします。

  • アクセス: 市電、いづろ通・朝日通下車徒歩約5分。

テーマは、鹿児島はなぜ明治維新の主役となれたのか。江戸から遠く離れた鹿児島が、なぜ西郷隆盛や大久保利通を生み出し、日本に資本主義の時代を拓いたのでしょうか?


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鶴丸城(鹿児島城)跡:ブラタモリ鹿児島

ブラタモリは、島津氏の居城だった鶴丸城(鹿児島城)跡を訪ねます。

  • アクセス:市電・市役所前下車、徒歩5分。

鶴丸城を見て驚くのは、加賀藩に次ぐ石高の大きな藩にも関わらず、拍子抜けするほど薄い守り。「不思議」という言葉を本に残した研究家もいたほどです。本丸をめざしながら、タモリさんが順に見てゆくと驚きの連続です。

  • 堀の幅が13mしかない(熊本城は36m)
  • 堀の深さも80cmしかない(熊本城は約2.3m)
  • 石垣の高さも低く約6.6m(熊本城21mの半分以下)
  • 60mも歩くと本丸に到着する。天主はない。

関連記事:ブラタモリ熊本城

なぜなのでしょうか?

鶴丸城の本丸の裏には、城山があり、桜島を見渡すことができます。城山の下には、JR鹿児島本線のトンネルが掘られています。ブラタモリは、城山展望台を訪ねます。

城山の高さは108mあり、四方を急な崖に囲まれていますが、頂上には平らで比較的広い土地があります。ここに1つの陣地である、曲輪(くるわ)が置かれ、戦時には兵を構えました。鶴丸城の守りの要は、城山に置かれた曲輪の方であり、本丸は平和時の中心機能だったのです。

ブラタモリは、城山展望台付近の道で、城山の崖の地層を観察します。火砕流が積もってできた、シラスです。このシラスはどこから来たのでしょうか?(桜島ではありません!)

このシラスは、桜島よりも古く、大きな範囲を占めていた姶良(あいら)カルデラに原点があります(カルデラとは、火山活動による巨大なくぼ地)。姶良カルデラは、地図の湾すべてを指し、現在桜島を含んでいます。桜島ができたのは、姶良カルデラの生成よりも、後のことになります。

城山は、広大なシラス台地の一部が残ったものです。

  • シラス台地:火山噴出物(白色)が堆積した地層が、別の地層の上に重なって形成された台地。九州に多く見られる。

シラス台地に雨が降り注ぎできた割れ目が徐々に深くなり、かまぼこを縦横に並べるように独立してゆき、現在まで残っている台地の1つが城山です。この地形は、急な崖と、平らで広い山頂部に特徴があります。鹿児島にはこの台地が多数あり、多くの外城が作られ武士が配置され、強固な守りを実現しました。薩摩藩は、兵力の増強に力を入れており、ほかの藩に比べ武士が多かったことも背景にあります。

一般に、作物が育ちにくいことで知られるシラス台地ですが、城山のふもとにある鶴丸城の周辺には、豊富な湧き水が見られます。なぜなのでしょうか?

降った雨が、シラス台地を支える泥岩層でせき止められ、さらにシラス自体が水を含み、貯水庫のような役割を果たしていたのです。

このように見てくると、鶴丸城は、外形的には非常に貧弱な本丸を掲げますが、背後の城山に曲輪が隠され、さらに四方を無数の外城が囲む、強固な防衛体制を持っていたと言えます。

路面電車(鹿児島駅前電停~いづろ通電停など):ブラタモリ鹿児島

ブラタモリは、路面電車に乗り、城下町を観察します(写真は高見馬場電停です)。

  • ブラタモリのコース:鹿児島駅前電停~いづろ通電停へ

鹿児島駅前停から西へ向かい、車窓を見たタモリさんは、大通りにもかかわらず、軌道がずっと左にカーブし続けていることを不思議に思います。さらに、いづろ電停で路面電車を降りると、非常に大きな石灯籠があります。これらは、何を示しているのでしょうか?

石灯籠は、船着き場の灯台の役割。路面電車の経路は、実は海岸線だったのです。薩摩藩は、埋立地に商人を住まわせ、琉球経由での中国との貿易を進め、50万両にもおよぶ蓄財を進めることができたのです。

ブラタモリは、かつて武家屋敷だった、現在の繁華街を歩きます。高見馬場電停付近には、地形の高まりがあります。このような高まりが、周辺には複数存在しました。

  • アクセス:高見馬場電停から東側へ進んだ、ファミリーマート付近。

これらの高まりは、川が運んだ川砂の跡です。島津氏は、わざわざ甲突川を城下町の中心地の西側につけ替え、5万人もの武士を城下町の中心に住まわせました。

ブラタモリは、つけ替えられた川沿いにある鍛冶屋町の、西郷隆盛の生誕の地を訪ねます。取材日は、下級武士として生まれ歴史に名を残した、西郷隆盛の誕生日でした。近くには、大久保利通ら、のちに名が残る人々の住まいもありました。

台場跡(いおワールドかごしま水族館):ブラタモリ鹿児島

ブラタモリは、水族館のイルカの調教も行われる水路沿いに、100mほどもある長い石垣を発見します。これは何の痕跡なのでしょう?

  • アクセス:市電水族館口下車徒歩8分。いおワールドかごしま水族館西側(川を挟んだ対岸)

これは、大砲を据える台場の跡です。薩摩藩は、西欧から通商を求める軍事的な圧力に直面しており、東京のお台場よりも早く建設されました。台場を形成するのは、シラスではなく、たんたど石でした。

たんたど石の産地:ブラタモリ鹿児島

ブラタモリは、鹿児島駅から北約2キロの内陸に、たんたどのバス停の名前を発見します。

  • アクセス:鹿児島中央駅からバス吉野線上之原行きを利用。たんたど下車。

ブラタモリは、たんたど公園北側の小高い私有地で、シラスの地層を見学します。

  • アクセス(一般非公開):たんたど公園すぐ北(地層のそばまでは立ち入りができません)

巨大なシラスの地層は、非常に厚く壮観です。このシラスも、台場に使われていたたんたど石も、火砕流から生成したものです。なぜ別々の地層になったのでしょうか?

生成した時代に差があったのです。

  • 29000年前  …  シラス=雨で流出した
  • 50万年前 …  たんたど石(溶結凝灰岩)=シラスの層の下にあり表出

たんたど石は、柱状節理を形成し、非常に加工しやすく、台場作りに貢献しました。

仙巌園(磯庭園):ブラタモリ鹿児島

ブラタモリは、鹿児島駅の北東に位置する、仙巌園(磯庭園)へ移動します

  • アクセス: 鹿児島交通などの仙巌園前を利用。鹿児島駅から約6分、鹿児島中央駅から約15分。

仙巌園(磯庭園)は、1658年に作られた薩摩藩主の別邸を中心とした庭園です。

別邸として建てられた磯御殿からは、日本庭園を背景に桜島を見ることができます。庭にある灯篭には、横浜よりも15年早く、ガスを引き火を灯す実験をした記録が残っています。

庭園の西部にある、たんたど石で作られた石垣に囲まれた構造物は、反射炉の跡です。鉄を溶かすための反射炉の、土台の部分が残っています。

鎖国の状況下、島津斉彬は書籍を頼りに反射炉を設計し、大砲を製造していました。反射炉は、たんたど石で作られていましたが、加工のしやすさから、カミソリの刃1枚も通さないと言われるほどの密閉性がありました。

集成館と呼ばれた工場群に使われた小野石は、たんたど石と同様、火砕流からできた溶結凝灰岩ですが、夏涼しく冬温かいなど、たんたど石と多少異なる特徴を持ちます。なぜ異なる性質を持つのでしょうか?

小野石は、姶良カルデラではなく、内陸の加久藤カルデラから生成したものだからです。九州には複数のカルデラがあり、20種類もの溶結凝灰岩があります。例えば山川石は、毛細管現象により、温度変化に強く形状が変化しにくいため、代々島津家の墓石に使われてきました。

ブラタモリは集成館の裏山に移動します。多くの水路のあとが見られます。幕末の工場図を見ると、裏山から集成館にかけ、多くの水路が張り巡らされています。この場所独自の地形である斜面も生かし、水流で水車を動かすことで鉄の円柱を回転させ、内部に棒を突き刺し大砲の空洞を作っていました。急斜面が海に落ち込む地形はここにしかなく、薩摩藩が地形を熟知した活用を行っていたことが分かります。


関吉の疎水溝:ブラタモリ鹿児島

ブラタモリは、集成館(工場)周辺から上流へ、水の流れをたどります。もともとは、江戸時代の初めに田に水を供給するために作られた水路でしたが、1852年に集成館の動力とするための工業用水として、島津斉彬により大改良されました。

  • 関吉の疎水溝へのアクセス:鹿児島中央駅からバス・緑ヶ丘団地線にて30分、下田バス停下車、徒歩12分。

現在の取水口です(左:滝、右:取水口)。しかし、この取水口は大正時代につけ替えられたもの。島津の時代の取水口は、もう少し下流にありました。

シラスが多い鹿児島としては珍しく、溶結凝灰岩に囲まれた渓流沿いの珍しい場所に、堰が作られていました。ここに水を溜め、取水を行なっていたのです。もしシラスならば崩れてしまい、取水は不可能でした。

このように薩摩藩では、鹿児島の地層や岩石の特徴を熟知して、近代化に活用していたのです。

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