NHK番組のブラタモリ福井編で、福井や一乗谷の地形・歴史が紹介されました。このページでは、ブラタモリ福井編の全ルートを、写真やアクセスなどの情報とともに紹介します。
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福井でブラタモリ | 内容 |
鯖街道(#254) | |
敦賀(#253) | 新幹線という新たな「道」に沸く敦賀。しかし歴史を見ると「道」は、それだけではありません。タモリさんが、旅のお題「すべての道は敦賀に通ず?」を探ります。 |
福井(#124) | 福井のルーツは消えた都市に? 奥行き1.7キロに、推定1万人もの人が暮らしていた大都市がありました。 |
東尋坊(#120) | タモリさんは巨大な柱状節理に驚きます。なぜ東尋坊に誕生したのでしょうか? 三国港突堤も訪問。 |
福井駅|ブラタモリ福井
ブラタモリは、福井駅前からスタート。恐竜が出迎えます。
DINOSAUR KINGDOM FUKUI(ダイナソー・キングダム・フクイ)と駅舎にも書かれています。ブラタモリのテーマは、福井のルーツは消えた都市にありです。(ブラタモリ公式サイト)
消えた都市とは、戦国大名・朝倉義景の城下町、一乗谷。織田信長に焼き払われ、わずか100年でその姿を消しました。しかし発掘が進み、新発見が相次ぎ、国特別史跡に指定されました。
大河ドラマ「どうする家康」の第15回「姉川でどうする!」では、織田勢が、浅井長政・朝倉義景の連合軍と戦う、姉川の戦い(1570年)が描かれました。
当初、徳川家康(松本潤)は、浅井長政(大貫勇輔)の人徳に惹かれ、浅井側に付く意向を示します。石川数正(松重豊)は「今なら信長を倒せます。しかし、倒した後、どうするのか」と問いかけます。さらに「殿、あのぐっちゃぐっちゃをもう一度、やりますか。生き延びられるとお思いでござるか?」という言葉で、家康は信長と共に浅井・朝倉軍と戦うことを決断しました。
一乗谷城の戦い(1573年)を経て、織田信長は、福井県南部まで進出します。
越美北線で鉄壁の門へ|ブラタモリ福井
ブラタモリは、JR九頭竜線(越美北線)に乗り一乗谷駅へ向かいます。
車内では、ボックス席で福井銘菓・羽二重餅を試食。
目的地は、福井市の東方にある山奥の谷、一乗谷です。足羽川に注ぐ支流が流れる、険しい山に囲まれた谷間。奥行き1.7キロに、推定1万人もの人が暮らしていた大都市です。
一乗谷の狭い入り口には、鉄壁の門が作られていました(下城戸跡)。戦国時代の切迫した時代背景を感じさせる、強固な守りです(地図)。
タモリさん一乗谷を歩く|ブラタモリ福井
一乗谷に到着したタモリさんは、一乗谷レストラント付近から散策を開始します。地図の赤→青→緑の順で歩きました。(駅は地図の上方です)
アクセス 出発点の一乗谷レストラントは、一乗谷駅から徒歩15分または、京福バス一乗谷レストラント前 徒歩1分。
町人が住んだ町屋などの跡(地図の赤色)
一乗谷を奥(上の地図では下方)へ進むと、水路や家の礎石の跡が見られます。戦国時代の町屋の町並みが、そのまま発見されたエリアで、道路の幅や家の大きさもわかります。
多数の井戸や、楕円形のトイレの跡も見学できます。木製の金隠しも出土しました(全国で初めて発見された、中世の金隠しです)。
庶民の邸宅にも、1つ1つに、井戸やトイレがあったことが分かっており、豊かな城下町だったことがうかがえます。
町屋の跡のやや奥には、大きな間口や坪庭の跡が見られます。誰が住んでいたのでしょうか?
ここからは、中国の医療書の痕跡も出土しました。医者の邸宅の跡です。
一乗谷は滅亡したあと、城下町が現在の福井市に移り、開発されることはありませんでした。その後、水田となり、奇しくも水でカバーされる形となり、遺構・遺物の保存状態は良好です。
武家屋敷の跡(地図の青色)
さらに奥(上の地図では下方)に進み、朝倉義景氏の館の跡が近づくと、城下町の武家屋敷の町並みが、復原されています。
武家屋敷のなかに、数軒だけ町屋が紛れていました。これは、なぜなのでしょうか?
町屋が混在しているのは、戦国時代が進むと経済が発展し、商人の活動範囲が広がったからだと考えられます。
※上と同じ地図です
朝倉氏の館の跡(地図の緑色)
ブラタモリは、戦国大名・朝倉義景の邸宅跡を訪ねます。
井戸(上の地図の緑線の右端・東端)からは、ベネチアングラスが出土しています。一乗谷は、水運で、現在の福井市を介して、世界とつながっていたのです。
一面に広がる礎石は、朝倉義景の住まいの跡です。
朝倉館の周囲には、土塁や堀が設けられています。
一乗谷の城下町は、織田信長・徳川家康に滅ぼされ、時代は移り変わります。一乗谷は風化し、近年まで田んぼになっていました。
福井城
写真 福井県によるパンフレット(PDF)より
ブラタモリは、福井城跡に移動します。現在は、石垣、内堀、天守台などが残存しています。福井藩主が登城した御廊下橋と山里口御門(写真)も相次いで復原されました。
アクセス 福井駅から徒歩5分
山里口御門には、珍しい、石で作られた屋根瓦が見られます。使われている笏谷石は、火山灰が固まった凝灰岩で、福井を代表する、美しい高級石材です。
笏谷石は、一乗谷でも、井戸などに使われていました。一乗谷には石を加工する技術が発達しており、福井城の石の瓦に受け継がれていると言えるのです。
笏谷石と福井
丹巌洞
— kaisan36 (@kaisan36) 2019年2月2日
福井市の穴場中の穴場。笏谷石好きにはたまらない場所。市街地の中にあって、ここだけ時間が止まったかの様。
福井藩医山本瑞庵の別荘で、春嶽公や橋本左内らが密談に使ったとも。
午前中はお願いすれば無料で見学出来ます。一度でいいからこちらの料亭でお食事してみたいものです。 pic.twitter.com/dv0v5JCOrs
ブラタモリは、丹巌洞(料亭)を訪ねます(地図)。庭の建造物は、全て笏谷石でできています。笏谷石の巨大な塊を掘り出して、建造物を作ったのです。
丹巌洞は、福井城に近い、まるごと笏谷石でできた足羽山にある、石切り場の跡を再利用したものです。
ブラタモリは、丹巌洞の前に、カーブした道路を見つけます。足羽川が、かつて流れていた場所です。足羽山から切り出した石は、足羽川の水運を経て、三国港から全国へ運ばれていったのです。笏谷石は、福井に繁栄をもたらしました。
- 三国港は、ブラタモリ東尋坊編で紹介。
福井の商店街に残る一乗谷の面影
ブラタモリは、呉服町商店街を訪ねます。下一乗町は、かつて一乗谷に住んでいた人が、移り住んだ町です。
国島商店は、江戸時代の地図にも、組頭としてその名前(国島和三郎)が載っています。御用商人で、福井で最も古いお店です。現在は18代目。朝倉の家紋が入った着物が残されています(非公開)。
アクセス 呉服町商店街 福井駅から17分、福井城跡から13分
前編とも言える東尋坊編は下の記事からご覧ください。
【ブラタモリ東尋坊編】全ルートを写真で紹介!~再放送と地形・穴場観光地~ #120
福井でブラタモリ | 内容 |
鯖街道(#254) | |
敦賀(#253) | 新幹線という新たな「道」に沸く敦賀。しかし歴史を見ると「道」は、それだけではありません。タモリさんが、旅のお題「すべての道は敦賀に通ず?」を探ります。 |
福井(#124) | 福井のルーツは消えた都市に? 奥行き1.7キロに、推定1万人もの人が暮らしていた大都市がありました。 |
東尋坊(#120) | タモリさんは巨大な柱状節理に驚きます。なぜ東尋坊に誕生したのでしょうか? 三国港突堤も訪問。 |
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😎過去回ロケ地 完全収録
ブラタモリが、長岡→燕・三条→新潟市を、信濃川なしには語れない地域としてまとめてくれそう!😎
— ブラタモリ (@buratamori2018) August 27, 2023
漏れる糸魚川、上越、村上などは北前船航路でカバー🚣♂️
信濃川、北前船で理解しやすく全県を売り出せば、まだまだ観光客は来そう!
動画は十日町市に信濃川が作った河岸段丘で、このエリアもカバー。 pic.twitter.com/pFJF4tlKW3
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