ブラタモリ全放送回まとめ

【ブラタモリ・堺編】全ルートを写真で紹介!~再放送と地形・穴場観光地~ #134

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NHK番組のブラタモリ・堺編で、大阪の堺の地形・歴史を踏まえた、穴場観光地を含むルートが紹介されました。この記事では、ブラタリ堺編の全ルートを、写真やアクセスなどの情報とともに紹介します。再放送予定も掲載。


再放送、見逃し配信:【ブラタモリ見逃した?】再放送予定と時間帯、無料配信もあります

再放送は、翌火曜日の23時55分から(休止の場合あり)。再放送でなくすぐに見たい場合や、スマホから見たい場合は上のリンクをご利用ください。

ブラタモリ 過去の大阪編


仁徳天皇陵古墳:ブラタモリ堺

ブラタモリは、堺市にある仁徳天皇陵古墳からスタート。世界遺産認定候補の百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)の1つです。

  • JR阪和線百舌鳥駅下車8分

東京ドーム10個分の、1600年前に作られた、日本一大きな古墳です。高さでは、エジプトのクフ王のピラミッドに敵いませんが、長さを基準にすると世界一です。仁徳天皇陵の工事には、1日2000人が従事しても15年8ヶ月かかると試算されています。

ブラタモリ堺編のテーマは、巨大古墳は日本の歴史を動かした?です。

堺市博物館

1600年前は古墳には緑がなく、古墳の表面には赤い埴輪が並べられて、斜面は石葺きでした(※)。手のように、両側に突き出た広場である造り出しには、形象埴輪(家、人物、動物、器物など)が並べられていました。行事(お祭りごと)に利用されていたと推測されます。

仁徳天皇陵の周囲には帆立と呼ばれる、帆立貝の形の古墳が並んでいました。下位の身分の古墳と思われます。

※百舌鳥古墳群の古墳のなかに、神戸の御影石を使ったものがある。

仁徳天皇陵

1600万年前は、仁徳天皇陵とその周囲が人工物で、周囲は森に囲まれていました。


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巨大古墳はなぜ堺に作られた?:ブラタモリ堺

巨大古墳は、なぜ堺に作られたのでしょうか? ブラタモリは、竜佐山古墳(帆立型)を左に見て、仁徳天皇陵の隅の角を目指します。

周囲の道路は、先(西北方向)に行くほど、緩やかに下がっています。仁徳天皇陵は微高地になっているようです。なぜなのでしょうか?

この場所は、地下に断層があり、その上に柔らかい地層が重なり、緩やかに湾曲した撓曲崖(とうきょくがい)です。撓曲崖の先の低い場所には、埋め立てられたいまよりも、ずっと手前に海がありました。

堺は、内陸部にあった大和王権(日本統一前の政権のひとつ)の海の玄関口であり、目立つ撓曲崖の上に、国力を誇示するように、古墳群が並べられていたのです。

大小路橋:ブラタモリ堺

ブラタモリは、堺の東の端にある、大小路橋(おおしょうじばし)交差点を訪ねます(堺東駅から徒歩6分)。かつての堺の中心部の東にあたる場所です。

日本経済新聞より

現在は、通常の道路ですが、地名から橋がかかっていたと分かります。運河が掘られていたのです。タモリさんが周囲を探すと、大小路橋の親柱が4つ残っています(うち1つは、複数あるオレンジの扉が特徴のエレベーター1階付近の木立のなか)。

ここには、堺の町の東側を守る堀があったのです。戦国時代の堺は、大陸との交易で大きな富を蓄え、それを守る必要があったのです。商人による自治都市であった堺は、堀に囲まれた町でした。日本に布教に訪れたフランシスコザビエルは、「堺は非常に大きな港で、たくさんの商人と金持ちがいる町です。日本の他の地方よりも銀や金がたくさんあります」と伝えています。

2つの国の際(きわ)に位置した堺

ブラタモリは大小路橋の北西すぐにある歩道橋(地図はこちら)から、大小路を見ます。

堺は、2つの古墳群を結ぶ長尾街道、竹内街道の西の端にあります。両街道は、古墳時代(5世紀)には、存在したと考えられます。両街道は摂津、和泉の国の境目となり、堺は地政学的に重要な場所となりました。

一方で、2つの国の中心から遠い場所であったことから支配や管理が薄く、自由な気風のもと、堺の町は繁栄してゆきました。

復元された千利久の茶室:ブラタモリ堺

堺は、戦国時代の商人でもあった、千利休の出身地です。ブラタモリは、千利休の屋敷があったとされる跡を訪ねます。

  • 南海電鉄高野線・堺東駅5分
  • JR阪和線・堺市駅11分

ブラタモリは、向かいの博物館内に復元された、茶室を訪ねます。茶室は、小さな入口から(身分の差を忘れられるよう)腰をかがめて入ります。なかは、わずか2畳。落ち着きを感じる空間です。タモリさんは、戦国時代の茶碗を見学します。表面がざらついています。なぜなのでしょうか?

大坂夏の陣で焼けた痕跡です。堺は大坂夏の陣で全焼しているのです。しかし、堺の地下からは、災禍を逃れた貴重な茶碗が多数発掘されています。これは、堺の当時の勢いを示すものです。

織田信長からの手紙

鉄砲玉千到来と書かれた、織田信長が千利休に送った、鉄砲玉納入への礼状が残されています。織田信長は、堺の商人の力を使い、全国統一を果たしたとも言えます。巨大古墳が堺を生み、日本の歴史を動かしたと言えるのです。

堺と鉄:ブラタモリ堺

ブラタモリは、江戸時代から明治時代まで鉄砲鍛冶屋を営んでいた井上家(一般非公開)を訪ねます。鉄砲の銃身を作っていました。堺市に寄贈されたため、今後一般公開に向けて整備されます。

  • 高須神社駅から徒歩3分
  • 七道駅から徒歩5分

古墳時代、鉄を作る技術が中国大陸から入ってきました。堺では、刀の製造を経て、戦国時代には鉄砲の製造が発展しました。堺が歴史を動かしたと言えるのです。現在は、包丁の製造に受け継がれており、全国の料理人の指名を受けています。

写真提供のお願い:関東甲信越を中心に、後日現地取材をしていますが、経費の関係で現地取材が難しい状況です。Twitterにて「#ブラタモリ写真提供」タグをお付けいただき、写真をご提供頂けると幸いです。

ブラタモリ大阪編

ブラタモリ

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