ブラタモリのまとめ

ブラタモリまとめ 松山の歴史・地形観光スポット~松山城・三津浜港など~……2016.1.30

2016/06/06

松山を訪ねる際に際にぜひ見ておきたい、ブラタモリ松山の放映内容です。「松山市はどのように四国一の町に」をテーマに、松山城、城下町、三津浜港を中心としたガイドブックにはない歴史観光スポットが紹介されました。松山の成り立ちや歴史をより深く理解することができます。

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松山市とは

✔ 松山市は四国最大の都市。しかし松山城ができる前は広大な湿地帯に過ぎなかったのです。わずか400年でどのように四国一、人口約50万人のまちになったのでしょうか?

松山城を中心とした松山市はどのように四国一の町に?

松山城

✔ 松山城は山上にあるため、ロープウェイかリフトで登ります。江戸時代の天守閣が残存する貴重な城です。加藤嘉明が築城。

✔ 松山城の北東すぐにある東雲公園付近。道路と住宅のあいだに2mほどの高低差があります。クランク状の道路の線形が古地図にある土塁の線形と一致。公園は堀を埋めた跡です。

✔ 松山城の東にある松山東高校。松山中学時代には、正岡子規が明治16年まで在籍し、明治28年には夏目漱石が教諭として着任した歴史を持ちます。

✔ 正岡子規は江戸期にこっけいの遊びに転じていた「俳諧」を、自然や人物を日常のことばで描写(写生)する「俳句」として再生させました。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺(正岡子規)
赤とんぼ筑波に雲もなかりけり(正岡子規)

※俳句の歴史について初稿で一部誤りがありました。お詫びいたします。

✔ 松山東高校には、松山城を大きく囲む土塁である「砂土手」の痕跡が残っています。

✔ 随所に見られる土塁の痕跡は、扇状地にある松山城周辺を洪水から守るために作られていたのです。

 松山城 ● 松山東高校  石手川の岩堰

✔ 松山が城下町がとして発展した理由のひとつは洪水を克服できたことです。松山城の東を流れる「石手川」も深い関係があります。

✔ 松山城の東を流れる「石手川」には小さな渓谷のように見える場所があり、小さな滝もあります。これは洪水の克服とどう関係したのでしょうか?

✔ この石手川の岩堰は、200mに渡り川底の岩盤を人力で削り川の流れを変更した痕跡です。この工事により松山城付近に流れ込んでいた流れを南に逃がしたとされています。工事に使われたノミが出土しています。

松山市駅付近

✔ JRの松山駅の東にある伊予鉄道の松山市駅。「市駅」の通称で親しまれています。松山城の南に位置し今も「銀天街」(地図■■■)など商業の中心地ですが、江戸期には伊予絣(かすり)などを扱う問屋街でした。

✔ 銀天街の入口にある伊予銀行湊町支店はじめ至る所に内陸部にも関わらず「湊町」の文字が見えます。これは松山城南の武家屋敷を商圏としたこの一帯で荷揚げを行っていた痕跡となります。

✔ 「銀天街」の南側に沿う中の川(地図■■■)は江戸時代と川幅が変わっていません。両岸から引っ張る形で荷物を運ぶ小舟を通していました。

港町三津(三津浜港)

 伊予鉄道港山駅
● 渡し舟の船着き場 
 籠置石がある鯛メシ専門「鯛や」
■■■ 奥行きの深い町家
● 三津浜小学校

✔ 伊予鉄道の港山駅から三津浜港へ向かうには渡し舟を利用する必要があります(地図)。市道の一部のため無料で乗船できます。

鯛めし「鯛屋」

出典:三津浜の歴史を感じ郷土料理を味わう

✔ 三津浜港周辺には江戸時代から残る民家があります。森直樹さん宅もその一つで、一般公開を兼ねて「鯛メシ専門 鯛屋」を営んでいます(地図)。

鯛メシ鯛屋

出典:三津浜の歴史を感じ郷土料理を味わう

✔ 庭には籠置石が残っています。これは殿様が来訪した際に籠を置く石で由緒正しい家であることを示します。殿様は庶民と句会を開くような親しみやすい存在だったと伝えられます。

✔ 三津~大阪(天保山)の海図も保存されています。参勤交代のルートと目され、庶民が敬愛する殿様の現在地を確認していたのかしれません。

✔ 三津浜港周辺には奥行きの非常に深い家がいくつかあります(地図■■■)。町屋とし建てられた建物です(ブラタモリが紹介したのは遠藤味噌醤油醸造所)。

✔ 三津浜小学校内にはお茶屋井戸の石碑があります(非公開)。非常に広いこの小学校は江戸時代のお茶屋の跡をそのまま利用しています(地図●)。

線路の直交

✔ 松山城西側の大手町駅付近には全国的にも珍しい線路の直交があります。郊外電車が優先と定められています。

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