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【ブラタモリ】軽井沢の歴史・地形が分かる旅行見どころのまとめ #16

2017/10/17

NHK番組のブラタモリで、軽井沢の歴史や地形を踏まえた旅行の見どころが紹介されました。旅行の備忘録や教養のためにぜひご利用ください。この記事では、軽井沢のブラタモリ紹介地へのアクセスや関連情報を扱っています。

  • #16 2015年8月29日(土)軽井沢~軽井沢はなぜ日本一の避暑地になった!?~

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関連情報

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旧軽井沢に宿場町として栄えた痕跡/ブラタモリ軽井沢

ブラタモリ軽井沢編は、旧軽井沢からスタート。軽井沢はなぜ日本一の避暑地になったのでしょうか?

  • 旧軽井沢:軽井沢駅から北へ、徒歩20分強。

江戸からの旅行客が碓氷峠を越え、ちょうど一息つける場所にある旧軽井沢付近には、最盛期には30の宿屋が立ち並び、宿場町として栄えました。

大名や役人が泊まった、もっとも格式が高いのが本陣。本陣があった場所には、現在レストランなどが立ち並びます。

  • 本陣跡:軽井沢郵便局すぐ北。ショッピングモールのチャーチストリート軽井沢。

軽井沢郵便局の隣にある靴店のSASH!軽井沢は、お店の奥行きがとても深く、裏側の道まで建物が続いています。この奥行きの広さ(13m×70m)が、まさに旅籠(はたご)であった痕跡です。江戸時代は、通りに面した間口により課税額が決められていたのです。

  • 旅籠「萬屋」跡:軽井沢郵便局すぐ南(駅より)。靴店のSASH!軽井沢。

明治時代になり、大名行列が中山道を通うことがなくなると、旧軽井沢は衰退してしまいます。一時期は、人々が細々と暮らす寒村になりました。

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大正時代に復興した軽井沢/ブラタモリ軽井沢

印:本陣跡 印:旅籠跡(靴店のSASH!軽井沢) 印:軽井沢ユニオンチャーチ 印:八田裕二郎別荘(非公開) ●印:軽井沢会テニスコート

明治時代に軽井沢の宿場町は衰退します。しかし、その後、英語の看板が溢れる町に変貌し、年間400万人が訪れる国際的な観光地の基礎が築かれます。なぜ、明治から大正にかけ、軽井沢は中興を遂げたのでしょう?

ブラタモリは、軽井沢ユニオンチャーチ(地図:印)を訪ねます。

明治30年、軽井沢の雄大な高原と涼しい気候に惹かれた、カナダ人宣教師A・C・ショー氏は、旧軽井沢に別荘を建てました。その後、口コミで外国人の別荘が増え、集会の場所として、軽井沢ユニオンチャーチが作られたのです。

その後、みるみるうちに別荘が100軒以上となり、寂れた宿場町に変化が現れます。

経営が苦しくなっていた旅籠・萬屋は、宣教師により、西洋化に備え、靴(くつ)の勉強をされてはどうかと勧められ、靴屋に商売を変更しました。です靴店のSASH!軽井沢。このほかにも、ジャムの販売など、宣教師たちを相手にしたのれん替えをして、旧軽井沢は生き残りを図りました。

なかでも「沢屋」のジャムは、アド街選定の軽井沢グルメランキングでも12位に登場したように、現在でも絶大な人気を誇っています。

アド街紹介 軽井沢ランチ&グルメランキング2015版

旧軽井沢には、明治26年に建てられた、八田裕二郎の別荘(地図:印)が現存しています(非公開)。日本人大工が建てたため、外観は日本家屋風。しかし、知人と交流するために半屋外のテラスが備えられたように、部分的に西洋の設計を取り入れています。

長崎や函館のように海に面している訳でないのに、外国人が文化を形成しているのは、非常に珍しいケースだとタモリさんは感慨深げです。

※ブラタモリでは、テニスコートの恋の舞台である、軽井沢会テニスコート(地図:●印)にも立ち寄っています。

なぜ標高900mに広大な平地が出現したのか/ブラタモリ軽井沢

ブラタモリは、なぜ標高900mに広大な平地が出現したのかを探るために、軽井沢の南西、ゴルフ場に沿って流れる小川をボートで下ります。

  • 小川:牛角軽井沢店南の路地を入る。突き当りから乗船(地質調査船に同乗)。

タモリさんが、川沿いを見ると、軽石からなる地層があります。これは2万年前の噴火により生成した地層です。軽井沢の語源は、軽石沢だという説も存在します。

この軽石の由来は、鬼押出し園(写真)を形作った、浅間山の大噴火ではありません。軽井沢に平地を形成した噴火は、浅間山より軽井沢駅にずっと近いある山の噴火です。

  • 浅間山大噴火により、いくつかの湖ができた。
  • 1つの湖の中で噴火が起こった。
  • その火砕流が湖を埋め尽くしできた平地が軽井沢だった。

標高が高い場所に、広大な平地があるという特殊な地形が、避暑地や観光地としての軽井沢の価値を生み、発展の原動力になりました。

また、現在の軽井沢は森に囲まれていますが、火砕流によって生成したというその成り立ちから、もともとは平原に近い土地でした。野沢源次郎という人物が、軽井沢の緑化に成功したのです。

軽井沢駅北西にある、別荘地の道をよく観察すると、中心から円を描くような配置になっています。中心は六本辻となっており、海外のような回転式の交差点があります。野沢源次郎は、パリのような西洋的な街並みを計画したのです。

(まとめ)軽井沢はなぜ日本一の避暑地になったのか?

  • 浅間山の噴火で湖ができ、さらに湖底の噴火で、標高800mに平地が形成された。
  • 中山道の宿場町ができ、一定の人口が定着した。
  • 一時寂れた軽井沢を、宣教師ACショーが気に入り、口コミを広めた。
  • 外国人のニーズに合った商売へのれん替えが進んだこと。
  • 野沢源次郎らが軽井沢の緑化に努めた。
  • キリスト教の影響で「低俗に流れない善良な避暑地」の路線が堅持された。

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