ブラタモリ全放送回まとめ

【ブラタモリ・京都御所編】全ルートを写真で紹介!~再放送と地形・穴場観光地~ #142

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NHK番組のブラタモリ・京都御所編で、京都御所の地形・歴史を踏まえた、穴場観光地を含むルートが紹介されました。この記事では、ブラタモリ京都御所編の全ルートを、写真やアクセスなどの情報とともに紹介します。再放送予定も掲載。


再放送、見逃し配信:【ブラタモリ見逃した?】再放送予定と時間帯、無料配信もあります

再放送は、翌火曜日の23時55分から(休止の場合あり)。再放送でなくすぐに見たい場合や、スマホから見たい場合は上のリンクをご利用ください。

ブラタモリ京都編のおさらい

新しい順記事へのリンク概要
当記事(#142)天皇の住まいだった京都御所が、なぜ今の場所にできたのかを探ります。消えた天井川に大きな関わりが?
宇治編(#103)日本3大茶の1つが宇治茶。宇治川、平等院鳳凰堂の湧き水などをめぐり、その秘密を探ります。
銀閣寺・東山編(#102)将軍・義政が隠居のために建てた銀閣は、引き算の美が特徴。義政のどんな思想が読み取れるのでしょうか?
京都祇園編(#70)舞妓さん・芸妓さんが歩く、日本一の花街である祇園。祇園は、意外にも分業制で成り立っていました。
清水寺編(#69)清水寺は、はるか西の嵐山の辺りと同じ地層。なぜなのでしょうか? 崖の交差点に立つ清水の立地を探求。
伏見編(#37)外国人が選ぶ観光地第1位・伏見稲荷大社の千本鳥居が有名。秀吉は伏見の2つの城に4年間居住しました。
嵐山編(#36)風景写真でおなじみの渡月橋や天龍寺の紅葉は、自然と人為の力が合わさってできた絶景でした。
新春特番(おどいなど)京都の郊外にある盛り土(おどい)。応仁の乱で荒廃した京都を広げて、守る豊臣秀吉の思いが見られます。

京都御所|ブラタモリ京都御所

ブラタモリは、京都御所からスタート。京都御所は、14世紀から明治のはじめまでの500年間、天皇の住まいだった場所です。即位の礼は、昭和まで京都御所で行われました。

京都御所は、京都の中央奥に位置する大内裏(だいだいり、かつての天皇の住まい)の場所でなく、北東のすみにあります。なぜ京都御所は、今の場所に作られたのでしょうか?

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大内裏の跡| ブラタモリ京都御所

ブラタモリは、大内裏のあった場所を訪ねます。

  • アクセス::地図の坂井芳から北上を開始。その後のルートは不明でしたが、リサーチをされたあっしゅ様よりご教示頂きました。

そこ(筆者注:お食事処やよい付近)から南下して一条通りを西に進み、智恵光院通に出る手前です。鏡石町。ライオンズマンションがあり、その西へ2軒隣の建物(筆者注:写真の建物)の脇を入っていくと、石垣に続く京都特有の路地になるようです(筆者注:私有地の可能性があります)。

京都独自の路地を進み右、左と曲がると、石垣が見つかります。大内裏の跡は、建物を建てることをはばかられるもの。誰が城を建てたのでしょうか?

430年前、豊臣秀吉が建てた、聚楽第(じゅらくだい)の跡です。豊臣政権の中枢に位置づけられ、かなりの大きさ(10万5千平方メートル、甲子園球場3個分)があります。

広すぎた大内裏

それでも大内裏は、聚楽第の16倍もありました。政治や儀式を行う場所が一体化し使い勝手が悪く、白河法皇が「内裏の殿舎は甚だ広博なり」(1112年)と、広すぎて持て余した記録が残っています。この広さが、天皇が大内裏を去った理由の1つです。天皇は、どこに引っ越したのでしょうか?

天皇は、身内である有力貴族の邸宅を移り歩いた記録が残っています。約200回引っ越した記録が読み取れます。しかし、その範囲は左京(=京都の東側)のみ。なぜ天皇は、左京を巡ったのでしょうか?

(注)左京は、京都の東側です。右京は、京都の西側です。大内裏から南を見た視点により、左右が呼び分けられています。


嵐電|ブラタモリ京都御所

写真:西院車庫 とは異なります

ブラタモリは、嵐電の西院車庫から路面電車の嵐電(貸切車両)に乗ります。嵐電は坂を登って下ります。

  • 西院車庫のアクセス:嵐電西院駅、阪急西院駅下車すぐ。通常非公開。嵐電西院駅→山ノ内駅を乗車すると、ブラタモリとほぼ同じルート。

右京を走る嵐電で、山ノ内駅に向かうと、ゆるい坂を上り始めます。写真は、勾配の1番高いところです。ブラタモリは、山ノ内駅で電車を降り、Uターンしてこの場所を訪ねます。

  • アクセス:三条西小路交差点(こちら)。嵐電山ノ内駅から東へ徒歩3分。

微高地となっており、民家は低い位置に建っています。京都盆地の内部は平たんなはず。なぜ微高地があるのでしょうか?

  • アクセス:三条西小路交差点(こちら)を南へすぐ。山ノ内駅から歩いて向かう場合、右折の形。

これは、天井川の跡です。川底に土砂がつもり、堤防を高くすることをくり返した結果、川面が家の天井の高さを超えたものです。右京(=大内裏の西側)は洪水が多く人が住みたがらず、田畑だけが広がっていました。


鴨川から出町枡形商店街へ|ブラタモリ京都御所

ブラタモリは、左京(=大内裏の東側)の鴨川を訪ねます。出町三角州(鴨川デルタ)付近です。鴨川も暴れ川と呼ばれ洪水がなかったわけではありません。なぜ左京に人が住んだのでしょうか?  出町枡形(ますがた)商店街にそのヒントがあるようです。

出典:出町枡形商店街公式サイト

ブラタモリは、鴨川と京都御所の間にある、出町枡形商店街を訪ねます。出町枡形商店街には、登って下る坂道があります。なぜ微高地があるのでしょうか?

河岸段丘です。平安時代後期、扇状地を下る鴨川の急流が川底を侵食し、周囲に河岸段丘ができ、左京は洪水の影響を受けにくくなりました。

御所用水の跡(相国寺)

ブラタモリは、出町枡形商店街から京都御所に向かいます。

細く曲がった道があります。これは、御所用水の跡です。途中、川面を好む楠(くす)の木が見られました。用水の跡は、京都府立鴨沂高等学校の敷地内に入るため、ブラタモリは、その先の相国寺に向かいます。

途中、写真の大きな庫裏(くり)が有名な相国寺に立ち寄ります。

  • アクセス:出町柳駅を出て、鴨川デルタ、出町枡形商店街、鴨川用水跡の道を経て、相国寺まで徒歩20分。ルート地図はこちら
京都市都市緑化協会

相国寺の開山堂(通常非公開)には、石で作った枯山水庭園がありますが、脇に用水の水路があります。昭和10年ごろに枯れていますが、御所用水の一部です。

ブラタモリは、京都御所の北側に到着。北側の門には、御所用水の跡が残っていました。


冷泉家|ブラタモリ京都御所

豊臣、徳川は、御所周辺に140軒もの公家を集めました。京都御所の乾御門は、武家による管理の象徴です。天皇家が、江戸城(皇居)へ移り住んだことで、大半の公家も同行しましたが、冷泉家は留守番役として残留しました。

  • アクセス:京都御所の北側(こちら

ブラタモリは、宮廷文化を伝承する冷泉家を訪ねます。冷泉家では、和歌に関わる行事(歌会始)、きっこうてん(七夕の原型)が継承されています。


ブラタモリ京都編のまとめ

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当記事(#142)天皇の住まいだった京都御所が、なぜ今の場所にできたのかを探ります。
宇治編(#103)日本3大茶の1つが宇治茶。宇治川、平等院鳳凰堂の湧き水などをめぐり、その秘密を探ります。
銀閣寺・東山編(#102)将軍・義政が隠居のために建てた銀閣は、引き算の美が特徴。義政のどんな思想が読み取れるのでしょうか?
京都祇園編(#70)舞妓さん・芸妓さんが歩く、日本一の花街である祇園。祇園は、意外にも分業制で成り立っていました。
清水寺編(#69)清水寺は、はるか西の嵐山の辺りと同じ地層。なぜなのでしょうか? 崖の交差点に立つ清水の立地を探求。
伏見編(#37)外国人が選ぶ観光地第1位・伏見稲荷大社の千本鳥居が有名。秀吉は伏見の2つの城に4年間居住しました。
嵐山編(#36)風景写真でおなじみの渡月橋や天龍寺の紅葉は、自然と人為の力が合わさってできた絶景でした。
新春特番(おどいなど)京都の郊外にある盛り土(おどい)。応仁の乱で荒廃した京都を広げて、守る豊臣秀吉の思いが見られます。

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